今日の認知症ホットタイム前の昼食会は、宇治橋の近くの福寿園宇治工房さんです。
福寿園さんの横にあるお寺のお地蔵さんに、お参りに行くと言い出しましたので、
少人数だった事もあって、ふらふらうろうろしてみました。
お地蔵さんは拝むものだと判っているので、みんなでちゃんと拝みます。
福寿園さんでご飯を食べて、交流会会場まで移動をしました。
移動をするにあたって、父と息子が歩くと言ったので、
常連さんのお仲間Rさんも一緒に歩くと言われて、三人で出かけて行きました。
Rさんは、奥様以外と出かける事は、デイに行く以外はたぶんあり得ない事だと思います。
Rさん自身奥様と離れると、奥さんはどこだ?となる事が多いので、
どうだろうと思いましたが、父とRさんは、デイサービスが同じで、
一緒にいる事、一緒に行動する事に慣れているらしく、
うちの父がそくすと、ちゃんと反応してくださるので、
記憶がおとろえて、相手を忘れるレベルに来ていても、
なんとなくいつもの人が、自分に優しく接しているという事を覚えていて、
何かと激怒したり感情の起伏が激しく、混乱もしやすい方ですが、
父とはうまくコミュニケーションができるのです。
認知症の人が、進行もしている中で、ふたらしい人間関係が築けたというのは、
かなりすごい事です。
そうして、彼らは三人で30分ほど歩いて、宇治橋の北の朝霧橋を渡り、塔の島に行き、
平等院の前で写真をとって、通りがかりの人にも写真をとってもらって、
ゆめりあまで楽しくやってきました。
顔が出るとまずいかもなので、良い笑顔の写真がいっぱいあるのですが、
掲載できません。
ひきで撮ったこの写真だけ載せておきます。
中度程度まで進んだ方であっても、適当なサポートがあって、
信頼関係があれば、こうして楽しく散策ができるのです。
息子が撮った写真ですが、よく見ると、二人してピースサインをして楽しそうです。
他にもピース写真がいっぱいありました。
その間、私は奥様とお話をして、できるだけお話を傾聴し、
共感し、共有して考え、感じるようにしました。
それが専門職の相談員とかだと、たぶん、話し手側も、話にくかったり、
話に対しての返事が同じ言葉であっても、
同じ文章であっても、
専門職の発言は、他人事に聞こえて、
私達当事者同士だと、わかってもらえた感がするものです。
それは私達当事者には必要な共感、共有であり、
癒しの一つであると思います。
私は代表をさせていただいていて、相談に対応したり、ピアカウンセラーとして、
皆さんのピアヘルプを円滑に勧めるグループカウンセリングをするように、
いつも考えて話しをしていますが、
これは他人や専門職ではなく、
当事者同士によるヘルプの手法です。
で、やってますと、私も自分の場合はーとか、ケースの紹介などもします。
その中で、私は認知症の人と暮らしているキャリアだけは、若いのに長いわけですが、
あまりはたから進行か見えず、確かにゆるやかに進行しているので、
苦労がないようにもみえてしまいます。
そして、私自身あまり言わないので、そのストレスの度合いはなかなかみなさんご存じないのです。
ゆるやかであるということは、それぞれの時期が長く、先があまりにも見えません。
たとえば、若年発症者は、進行が早く、水頭症が出てきた時に、手術もしなかった場合、
すぐ寝たきりになります。
そういうケースの場合、診断から寝たきりまでが短く、その間に本人の認知症に対する憤り、
不安感による感情の不安定さなどで、家族が暮らしの中で、つらい思いをするとしても、
わずか数年です。
寝たきりになってしまうと、人によっては暴言も暴力、
発病前ならしなかった行動、判断、言動などもできなくなります。
そういう大変な時期が短いのが判るので、先が見えない事もないわけです。
我が家の場合は、ゆるやかコースできている分、
昔の父ならしなかった行動もずっと続いており、
暮らしの中で、病気だからで我慢したり、理解したり、許したりする、
そういう事にも限度があり、はてしなく、一日何度もそういう昔の父らしさと異なるギャップに、
さらされると、神経がもたないのです。
病気だから仕方がない、だから介護家族が代わる、受け入れる。
受け入れたのはいつですか?
と言われても、受け入れてませんと私は言います。
いつか終わるのが目に見えていれば、受け入れて乗り越えるのもたやすいけれど、
どこまで続くかわからない、そしてそのギャップのある行動と言動は、少しずつ増えていく、
へびの生殺しのような日常を続けていて、病気だからとすべてを納得するなんて、
どれだけできた人なんですか、聖徳太子ですかと言いたいです。
初期で発見した人ほど、早期、若年で発見した人ほど、
高齢者よりも、病気による行動や言動の変化のギャップで家族は辛い思いをします。
本人も、高齢者で発症するよりも、精神的ストレスが大きく、自尊心も強く、
病気に対する理解力もあるがゆえに不安感も強くあります。
そこを組んだ介護や障害者に関する制度整備をしていかねば、
診断技術が進んで、早期発見がどんどん増えてきた昨今では、
診断後の彼ら高齢でない方の行き場、心のケア、家族のケアが、うまく機能せず、
家族が崩壊し、それぞれが生活保護で暮らす事になり、
国にとっても、重い負担になります。
認知症は進行すると、より多くのコストがかかるようになりますから、
できるだけ進行させないように、手をうつ必要があります。
その手をうてるのは、直接には家族が十分な制度利用に対する知識をもつ事、
制度利用以外にも手をうつこと。
制度を整備する国も、もっと適当な施設や制度を用意すれば、
無駄にお金を使ったりせずにすむと思います。
非効率的な施設整備計画をするから、適当なケアがそれぞれの病人に対して行えず、
進行を早めて重度の介護状態を助長していると考えています。
誰か厚労省の方、私の説聞いてくれないかなぁと思う今日この頃です。
仲間のみんなが一日も長く能力を維持し、家族の顔を忘れずにいられるように。
そして、家族が孤立しないで、家族らしく暮らせるように、これからも会の活動の中に、
それらを加味した内容を整備していきたいと思っています。
私は同じ一会員の立場で考え、会費を払いたくないと思うような会の活動をするぐらいなら、
会費制度はいらいないと思っています。
やった活動に対して、参加費をとる事はしますし、自分たち家族にはこの活動は大切だと思う方には、
個人的に寄付金をお受けしています。
賛同されないで会費だけは請求したくないし、会費を払ってるだけのメリットが、
冊子が届くだけという活動も、できれば避けたいです。
自分のメリットよりも、皆さんのメリットを追求していけば、
しいては、自分のプラスになると思います。
色々なケースに、親身に対応できるように、これからも沢山のケースにふれて、
共感し、共有し、改善策を考え、できる事なら、政策にも影響を与え、
暮らしの中に認知症の存在があっても、絶望に家族がおちいらないように、
改正していきたいなんて、夢を持っています。
応援してくれる方は、ご連絡くださいね。
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