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2010年4月21日水曜日

2010/3/13槙島学区福祉委員会さんへ研修講師に行く






私達の住む宇治市の中でも、認知症についての取り組みの多い地域である、槙島学区福祉委員さんに呼ばれて、研修会の三回のうちの一回を認知症理解講座としてさせていただきました。
同じ宇治市に暮らしている事もあり、宇治市で何があればいいか、何が足りていないか、地域活動でしてほしい事など、提言を求められましたので、いくつか盛り込ませていただきました。
私達の会は、特に若年、早期、初期から中期の、ご本人が世間話をする能力のある方の参加を中心としています。
高齢者の方には彼らの居場所、ケア、リハ、進行抑制、保護、などの場所として、介護保険施設があります。
もちろん私達の会のメンバーも介護保険を40歳以上であれば利用できますので、利用して、通所介護施設(通所デイサービス)に行く事ができます。
けれども彼らは、現役の労働者であり、進行する障害を抱えている為に、仕事を続けられなくなった方です。プライドも高く、高齢者の多い施設で、日中を過ごすというのは、職場で日中を過ごすはずの年齢の人間として生きている時期の彼らですから、なさけなくなったり、悲しくなったり、自分なんて無価値だと思ったり、存在する事が家族に迷惑なのだと考えたりしてしまいます。
家でぼーっとしている事は、進行にとって、誰が考えても明らかによくない事ですし、身体の能力についても、自律神経の機能低下や、筋力の低下など、様々な問題を起こします。
そういう彼らが能力維持の為に通いたくなる施設があれば良いと思うのですが、なかなかありません。
ないからには、彼らに既存の高齢者やその他の病気や障害で介護の必要となった40歳以上の方と、
共に日中を過ごす施設に行かねばなりません。
家で夫婦円満でいられるならば、その必要はないかもしれません。
ですが、たいていの場合、そうはいきません。
家族と本人の間の日中の暮らしは、本人の錯誤や妄想的な見解、家族の正常な感覚、家族の記憶の中にある健康だった頃の本人、そのギャップでどうしても問題がおきて、家族関係が良い状態でいる事は難しい事がほとんどです。
医師に相談すると、デイに行かせるようにと言われる事がほとんどです。
そのデイに行くというのがどれほどのストレスか。
その事を理解していただけたらなぁと思ってお話をしました。
徘徊についても、本人の視点で考えれば、理由があってでかけていく事。
そして、近隣への周知をしているかどうかで、家人が知らない時に徘徊に出た場合に、防波堤となれるかどうかの違いは大きい事をお伝えしました。
高齢者で、発症していても、かたくなに認知症であることを認めない方もいらっしゃいます。
認めないのは、プライドのせいか、それとも状況把握ができなくて自分の暮らしぶりがまともではなくなっている事に気づけないから、自分は大丈夫だというのか。もし後者であれば、もうその方にいくら言っても無駄で、親族に連絡をしたり、地域包括の独居老人に対する対応などにゆだね、社協の生活支援員さんなどの支援で、成年後見制度などを利用して、地域での暮らしを続けるか、施設入所かを、他人が決めなければならない状態かもしれません。
こういう事は、専門職が言うと、ただの制度を使いましょうのお話ですが、私や同席して思いを伝える父が話す事で、リアリティがあり、自分や近隣住民、親戚のお年寄りなどに置き換えて、考える事がたやすくなります。
本人の感情、家族の感情、それぞれが認知症の影響で、日常の暮らしにストレスを抱え、心に余裕がない暮らしをしている事など、なかなか制度や支援についての勉強会をするだけではわからないものです。
そういう事をお伝えするのは、私達の役目だといつも思って、訪問させていただいています。
来られている方の家族一つをとっても、世代間交流がないと、どなたも思っている中で、地域の結びつきで、障害があっても地域生活を続けられるようにしようというのは、なかなか難しい事です。
家族間ですら親世代子供世代に溝がある時代に、地域と自宅との溝は、昔よりも深く、児童虐待しかりで、まさかあの人がとか、ひきこもりの若者が親にキレたとか、そんな時代です。
地域で支え合えば、助かるのは助かるのですが、その為には、まずボランティアや福祉委員などの、有志の方達がたちあがり、昔のようなつきあいをしようじゃないか、交流をしよう、つどいをしよう、と動かないと、高齢の委員ばかりだしと、活動を控えめにしぼっていくばかりでは、いつか自分たちが障害をもった時に、縁がない事に気づくのでは遅いのだから、こういう研修会すらあまり力をいれていないところもあるので、ここの方には頑張ってほしいなと思いながら話をしました。
この日は、城南新報さんと、洛南タイムズさんという、地元宇治のローカル新聞の方の取材もありました。
親子でも、認知症の家族を同居も制度の手配もせず、たまに見に行くぐらいで、めんどうをみない世の中になってきましたが、社会全体を見ても、障害がある方と接しなければ、彼らの出来ない事、求めている事に気づかず、目を向けたり、支援ボランティアをしようと思い立たない方ばかりになってきました。
我が身や親戚に障害者がいれば気づくのに、普段の中では気づかない生活をしています。
日本人の税金が、障害者の方や要介護の方、ご高齢者の方の為にではなく、飢えている他国の為に何兆も支払われ、天下り先の委託事業にカネを沢山払い、公益性がないのに税金を優遇したり、公益活動のはずが儲かっていても税制優遇している団体など、日本の国が日本人という一人の人間の体であれば、あちこちでいつのまにかガンができて、放置されて、瀕死の重体のようにも思えます。
国の経済が破綻しかけているなんて軽い表現に聞こえるほど、日本は重病だと思います。
日本を誰が治すのだろうかと時々思います。

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