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2010年3月9日火曜日

2010/2/9 外科術前検査結果

コロプラのカードがもらえる文の助茶屋
本店さんです。
なんだかよくわかりませんが、
父に写真を撮られました。
めったに私を撮ろうとしませんが。
なんなんでしょうね?


今日の検査結果的には、父の糖尿強かったです。。元々軽くあったんですけど、薬は飲まなくてもいいぐらい。
でも、このところ、過食度も高いし、それやめとけばと言っても聞かないし、上から何でも追加でかけるし、残りものは食べ尽くすし、人が食べてるものを見ると、自分も食べると言うしで、動かないのに食べてるから、やばいなーとは思ってたんです。
で、数値的に言われても、ぴんとこなかったようですが、外科の先生に、糖尿があると、術後によくないんですよ、感染症のリスクが高いし、と言われて、かなりこたえたらしく、糖尿のお薬を一度副作用を気にして、やめてるけれども、この病院の糖尿科に行って調整して、ちゃんと抑えて手術前にもう一度検査して、大丈夫なら手術という話に、とても納得していました。

のわりに、たちよった、お茶屋さんで、甘酒飲んで、わらびもちを味見してましたが。。。
で、逆光でもいいから、撮れと言われてとった写真です。

2010/2/7 神戸三田プレミアムアウトレット

天気もイマイチでしたが、ドライブに行ってきました。
今度香川まで出かける予定があって、岡山まで車で行こうという話だったので、本当にそんなに長く乗れるのか?というわけで、いつもドライブで伊勢まで2時間ほどでいくというのも最近できてなくて、ちょっと二時間ぐらいのコース走ってみようというわけで、神戸三田まで行ってみました。
三回か四回Uターンしたような。。。
まぁ、たどり着いたのでいいんですけど。苦笑
あっちちゃうかーこっちちゃうかーってなって。
よくあるんですけどね。
結論は、私が最初思ってたコースが正解。

ジーパンに穴あけたーって言っていたので、ジーパン屋さんめぐりをしました。
それぞれ一本ずつ買って、息子にはナイキでサッカーボールを買うといい出しましたので、買いました。運動させてやらなあかん。とかって言って、休みの日に地元の小学校のグラウンドでサッカーして遊んでやるから、買ってやれと言われたのですが、ほんまかいな、、、と思いました。まぁきっと実現はなかなかしないでしょう。れ
せっかくですから、評判の三田屋さんのご飯を食べようというわけで、いつもコロッケの冷凍とか買ってるから知ってるよねーとか言いながら、買って食べてみました。父が食べたローストビーフが一番美味しかった。二番目がハンバーグで、私のステーキが一番ダメだった。おじいちゃんがあたりやーん!って息子がちょーだーいっ!と何個か味見以上にもらってました。
みなさんも、家族で違うのを頼んで、比べてみてください。うちはローストビーフ、ハンバーグ、ステーキの順でした。
また暖かくなったら行きたいなぁと思いました。

2010/02/04 外科で手術日相談



今日は、朝から訪問看護でちょっとゴキゲン。
終わって、一緒に総合病院へ。
私の腎臓の受診日だったんだけど、父の希望で、外科の先生に脱腸について相談も。
手術は春休みにすると本人が言ってるんだけど、胃が最近よく痛いから、早くしなくちゃダメなのじゃないかと不安がっていて、外科で相談。
外科の先生は、胃は違うよーという感じで、心配なんやったら、腸終わって、まだ痛いなら、次胃を調べて治そうという話。
結構不安感につきあって、認知症の人扱いせず話してくれてました。
でも、まぁ、春休みに手術するなら検査回っておかないとねって、話で、術前検査に回って帰る事にしました。
お昼ご飯を食べた、お店の写真です。

新しく八坂さんの近くに出来たおそばやさん。


夜は子供の喘息の通院日でした。
一日中病院なんですけど。。。
疲れるんですけど。。。
ストレスかかるんですけど。
誰も知らないストレスですね。
腎臓も検査結果イマイチです。

認知症の方と暮らすご家庭において、たとえばご夫婦で、片方が認知症ですという場合に、本人にも相方にもそれぞれ日常に健康な人同士の暮らしと違うストレスがあります。
認知症の人と暮らすストレスは、なかなか言葉にはできません。
本人のストレスは、自分が自分らしくない事が気づけるうちは、その葛藤と、記憶違いでうまくいかない物事に対する憤りなど、家族に迷惑をかけている気がする事など。
家族のストレスは、それらを見ているストレスと、対応するストレス、認知症じゃなかった時は、しなかった言動を見守るストレス、以前との違いに気づくストレス、受け入れるストレス、受け止められないストレス、今後についての不安、心配、経済的な問題など。
短期的に終わるであろうガンなどとは違って、進行の先が見えない、進行過程も症状も、それぞれかなり違いがあり、性格が変わったりする精神的変化などが強いので、家族としてもその人と共に生きる、共に暮らす事の困難さに直面する。
そういう事って、なかなか表に出ない。
だいたい、誰に話すというのか。
経験者にしか通じなかったりする中で、身近なところに経験者はいない。
専門職は他人事として知っていて、見て経験しているが、身内としての経験はない事が多い。
たまに家族に認知症がいたという方に出会うけど、だからと言ってこのストレス環境について理解し、癒しとなる事や、聞くだけでもという立場にはなる気になってくれない。
自分の日常だけで忙しいのである。
たいていの家族さんは、本人と相方のストレスを内にため込んで、息子や娘世代がいても伝えずにいる。
ケアマネなどがついていても、よっぽど優秀で、自分の職務外かもって所まで、時間をさいて、寄り添える人でもなければ、なかなか実際の暮らしの中の大変さに気づかず、本人と家族の為になるプランを描くことはできない。
本人のこれからの為に、そして家族が共に暮らす事で倒れない、心のゆとりをもった暮らしを本人に対して提供できる常態にする事、そういう視点で見れるケアマネなんてなかなかいない。
制度では、介護者同居だと、使えませんから。などと言うし、本人のどれぐらいできなくなっているか、できるけどやれないぐらい本人の精神状態が悪いのだという事などに気づけていなかったり、本人と家族の精神状態を安定させれば、周辺症状が改善されるのにそれが気づけないケアマネとかもいる。
うちのケアマネは親身で良いですと聞く事は少ない。
親身と言うには、それぐらいして職務内だよねという程度の親身の話も聞く。
ケアマネの報酬はたいしたことがないし、楽なケースを何件か持っておいて、ハンコだけですむ人と、職務外的時間を割かなくちゃいけない常態の家族にはそれなりに対応してあげる、ある意味そこには無償ボランティアに近い気持ちをもってぐらいでないと、十分と感じないかもしれない。
日々の暮らし、一日中、日夜の中にある本人の、健康だった頃と違う言動に、つきあう家族というのは、ものすごーく沢山の、はたから見ればささいなと呼べる事で、小さな積み重ねが多きなストレスになってつもっていく。優しく接して、間違いを正さないなど、きれい事に聞こえる程、病気だからではすませられない程、介護者が日々の暮らしで疲弊してしまう。
介護者というより、同居者として考えてもそうだ。肉体的な介護に行く前に、疲弊してしまう家族、そこに目を向けないと、本人の進行にとってよくない。日々接する人が良い精神状態でないと、よい対応ができず、本人が自分の今を混乱してしまって、病気の脳に悪い刺激を与える。
わかっていても、私でもできやしない。
みんなは出来てると思っているのかもしれないけれど。できません。
我慢してとか、受け入れてとか、そういうレベルの問題ではないです。
病気やから仕方ない、も積もると、長いと、もううんざりにもなるんです。
で、どう手をうつかが重要で、本人が変な言動をしないように、前もって手をうつようにしています。
そして、いらっとくるような事をされる前に、されないようにします。
でも、避けきれない時は、出来事を無視します。
悲しい事ですが、それも私なりのレスパイトです。
日本の介護や福祉の政策は、施設介護も在宅介護も整備が遅れています。
家族が疲弊したら、介護はできないし、職への復帰、離職問題、そういう人の経済的困難など、配慮が不足しすぎています。
介護施設の職員の給与がどーのとか言っていますが、経済の活性化には、在宅介護や施設介護で家族が安心して仕事をしながらができるような、たとえば夜家に帰ったら認知症の人との暮らしが待っている常態であっても、その中で肉体労働的介護はヘルパーなどがやってくれて、今日は楽しかったよ、介護職員とはどんなだったの?と言えるような、充実したワークライフバランスを、介護が暮らしの中にあってもできれば良いと思います。暮らしにバランスがあって、離職しないで、制度利用をしていけたら、制度利用によって費用は多少払うけれど、その払う為に働く時間がとれて、働く時間に気分転換ができて、費用の受け渡しによって、福祉にもお金が流れ、職員にもお金がまわる。
認知症の人が家族と分離不安がある事も多いので、そういう家庭で、介護者が働かないと経済的に困難であれば、今選ばれる方法は、離婚や別居で、生活保護を本人が受給し、介護者はパートで仕事をしながら住居のみ生活保護を受けるなどを聞いた事があります。
しかし、他にも方法はあると思います。書くと長いし、研究したい事でもあるので、今日はやめておきますが、ワークライフバランスというのは、生活と仕事だけではなくなりつつあります。
高齢化社会、早期発見のガンなど病気の発症が若い事が増えてきた中では、介護もライフの部分の中に含まれて存在する時代であると思います。
十分なケアをしてくれる専門職にゆだねるには、認知症だけでなく、肢体不自由な方などそれぞれの特徴にあった専門的知識とケアを、年齢別で受けられる施設の方が、誰もがストレスが少ないと思います。
混在するケアは、施設職員も大変だし、本人達も能力差で、既存能力を十分いかせなかったり、世代ギャップでレクの歌も違う、そんなところに行くのは嫌って事になります。
これから増加する介護というものにたいしての、アプローチがコストを気にして、逆にコストがあがるような、進行を助長するようなシステムになっているように思います。
夢や希望のある20.30台の若者が、親の介護や、理想の介護職になろうとしてなどで、現状の介護生活、介護の仕事に夢や希望を奪われるケースを知っています。
それは本当に残念な事です。
こころざしをいかせない制度ばかりで、残念でなりません。
時代はかわっているのに、制度が良い方向にかわっていかないのはどうしてでしょうか。
民主党になったから、かわるはずなのにな、と父は言います。
私は民主党だろうが、頭がすげかわっただけでは変わらないと思います。
よくない頭に変わったのかもしれませんし、どの党であろうが、現場の現実を知った方が、改善策を考え、改善していくのが一番だと思います。
そういう意味では、桝添さんが厚労省の時は、ちょっと期待したんですけど。
桝添さんに手紙を書こうかと思いました。
聞いてくれそうに思ったので。
行政の人で、うちにも認知症の親がいたからわかりますと言う人でも、嫁がみてたからろくに知らない人と、嫁がメインだけど自分も現状把握してちゃんとみてたって人は、ぜんぜんちがいます。その方のいる部署は認知症理解に対して積極性が違いましたし、行政としての動きも違いました。
他府県で何人もそういうちゃんと取り組もうとする行政の人に会いましたが、なんだか地元では出会いませんね。。。
京都どうなってるんでしょうか。

2010/1/31 キッザニア甲子園






もう六回目かもしれないですが、今日は、キッザニア甲子園に連れて行きました。今まで父を留守番させといて、行っていたのですが、今日は機嫌もいいので連れて行きました。










当日券が出ていたので、急に行くかーーって行ったのですが、雨って事もあって、当日券余ってるっぽかったです。日曜二部なので、翌日学校だからというのもあるかもですね。出るの21時ですから。
うちは、翌日朝から息子は学校を休んで病院に予約で行く予定があったので、学校で朝6時起きというわけではなかったので、行く事ができました。

今までいつも家に電話して、メールで写真送って、こんなんしてるよーとか言ってたのですが、人も多いし、うるさいしで、居られないかもーと言っていたわりに、結構大丈夫そうで、自主的にうろうろして、いろんな職業体験ブースを見ていました。

なかでも、やはり建築関係が好きみたいです。いないなーと思ったら大林組の工事現場体験を眺めていました。






今までなかった会社が出来ていたので、息子はロート製薬とか、新しいところと、まだ行ってなかった関西電力や黒猫ヤマトなどを体験してました。息子はおじいちゃんに見てほしがって、初めて色々と体験してる姿を見せられたので、大満足していました。

ロート製薬は、新しい会社ですが、研究所という事で、他のところと違って、小難しそうで、小さい子供に不人気です。ヤクルトはおなかの中の菌とかの話があって、終わりにヤクルトがもらえるからまぁまぁ人気があるんだけど、ロートはハンドクリームの作成で、お土産に作ったものではないけど既製品のキッザニアオリジナルがもらえていたんですが、どーも小学校高学年以上の子供達しかいなかったようです。理科が好きそうな子とか、中学生のまじめそーな子とか。
研究所っぽいし、実験みたいな器具ならんでるしで。苦笑


うちの息子は見た目でコナン君とか賢そうと言われますが、ほんまかいな?って気がするので、ロートさんで実験器具をいじくれるのかなーと思ってちょっと心配でした。
でも、さすがに保育園児でもOKなだけあって、大丈夫でした。

それより問題は、喘息です。香料を配合して、作るらしく、入場する為にドアをあけただけで、におうんです。
におい系で喘息を出すので、無香料の洗濯石けんしか使えないぐらいなので、どーなのかなーと思って気にしてましたが、本人のやる気が勝ったらしく、結構平気でした。
まあ、アレルギー薬いっぱい飲んでますしね。

関西電力の昇降装置に乗ってる時に撮ったのですが、なかなかこっち向いてくれなくて、動いてるしで、ぜんぜん撮れない。。。
他の会社のでも、結構そうなんですけど、撮れないんですよ。
だから、なれてる親は、ビデオカメラ回してます。
静止画は照明もイマイチで撮りにくいです。
一眼レフな人もいますけど、まぁ、帰って一緒に見て色々子供なりに、この時どーやったとか言えるので、動画の方が良いでしょう。
ブースの中の音は聞こえないところばかりで、見えない聞こえないところもありますが、軽いデジタルビデオカメラで始終とってあげるのが一番だと思います。
うちのは、重いし、テープもったいないしで、二回目行った時ぐらいしか撮ってないかな。苦笑
で、もうほとんどのブース回ったので、あとは本人いわく、行きたくないものとかが多いです。
食べられないものを作るとか。苦笑
たとえば、コカコーラのボトリング工場体験とか、ハイチュウを作るとか、マヨネーズづくりとか、ピザづくりとか。
たいていの子は好きなので、大行列で、二時間待ちしてでもやってるのにね。
というわけで、占いの館とか、おもちゃ研究とか、新しいところは結構制覇して、必死に並ぶ系はほぼ終わったかなーという感じです。
しかし、親は待ち時間が退屈ですね。
椅子足りないし。。。
今回は、おじいちゃん一緒で、しゃべってたので多少時間つぶしになりました。

2010年3月8日月曜日

2010/01/24 大覚寺


息子がクラッシックコンサート好きで、よく連れていくんですが、この日は右京区の方で子供の入れるものがあったので、連れて行きました。

チケットを買ってなかったので、当日券があればね、と言っていたのですが、満員で当日券がなく、ロビーのスピーカーとモニターテレビでは満足できないらしく、あきらめてどこか右京区で観光して帰ろうという事になりました。



駐車場の近くをお仕事中の盲導犬が通りました。キティちゃんのキーホルダーがついているようでした。盲導犬は、お仕事中の子は近づけないので、とても遠くで眺めるのですが、盲導犬のユーザーさんでも白杖の方でも、危険なところを歩かれている場合は、声をかけて案内する事があります。この時も、遠くで見守っていたのですが、ご家族かなーにしてはちょっと遠いか?と思う方が少し離れて歩かれていたのと、歩道がしっかりあって、そこを歩かれていたので、車道側に斜め歩きなどもなく、安全と判断して、見送りました。

近くに父が親しくしていた税理士さんのおうちがあって、高級住宅街にあるご自宅の裏に、仕事に行くとタダで駐めていたという大覚寺さんがあって、ホールから駐車場まで道案内してくれました。
このへんも変わったなーとしきりに言ってました。


ちなみに昔はタダだったようですが、今はお金がいるようです。
お金を払って駐めました。

ご挨拶に寄るかー?と聞いたのですが、やめとくわーって。何でーって聞いたのですが、なんともよくわからない返事でした。

この後、嵐山の天竜寺も行きました。たぶん、天竜寺。。。のはず。苦笑
写真をとれとれ言われて、入り口やら庭やら、撮りましたが、夕方だったのと、曇ってたのとで、イマイチの写りです。
珍しく私が写っていますが、これは、息子がママたまにわ撮ったげるわー、
とか言って突然とってくれたので、影なんですけど。。。。
この私の写真はどっちの寺だったか。。。
まぁ、とにかく、天竜寺では、天井の竜の絵が見れる時間ではなかったので、見れなーいって残念に思って、本堂の方など見て戻ってきたら、お坊さんが竜の見える建物の扉を閉めにきておられました。
中は入れませんが、扉のところからのぞけば見えるんですね。知らなかったのですが、お坊さんが、見える事を教えて下さって、どうぞって扉の外からのぞかせて下さいました。
息子ものぞき込んだのですが、光で見にくかったのを、手をそえて、影を作り見えやすくしてくださってました。
とても親切なお坊さんでした。ありがとうございました。
どこの角度から見てもにらまれてみえるとかいうものだったと思うのですが、扉からだけなので、今度は入れる時に行って、中で堪能したいなと思いました。
京都人だけど、入った事ないわーと言って、最近、父は行けるうちにいかなあかんなとよく言います。
留学生を夏ホームステイで預かっていても、彼らは天竜寺行ってきたーとか、色々毎日行ってくるのですが、よかったやろーって父は行った事あるかのように言ってましたが、実は前しか通った事ないんですよね。。。
で、うちの息子に、京都人なんやし、この子も神社とか嫌いやないから、もっと連れて行って見せておかんとあかん、そしたら大きくなった時、海外行っても、地元の日本の事思い直したとかじゃなくて、ちゃんと知った上で海外がみれるからって言います。
というわけで、まぁ、本人は連れてやらなあかん、足腰まだマシやし、連れてやるわと言いますが、まぁなかなか本人が連れて行く事はなさそうなので、京都市内の用事の帰りなどを利用して、また私が連れて三人で行こうと思います。

2010年3月6日土曜日

2010/2/21 認知症専門医の受診日

今日は、お友達と一緒に受診に行きました。
転院してこられたので、同じ時間にしてもらって一緒に受診を待って、おしゃべりをし、終わったら一緒にご飯を食べました。
認知症患者さんは、入院する時に病院側から、面倒みるのは家族で御願いしますという内容を言われる事があります。人手不足なので、徘徊につきあえないし、目くばりもできない。点滴などがある場合は、ぬかれるとまずいので家族がつきそって見張るようにと言われます。
外来もそうです。通院で連れてきて、本人がよそに行きたくなって、診察室の前を離れる場合に、誰が診察の番が回ってきた事を知らせる事ができるでしょうか。
帰りたくなってしまって、外に行くと言い出した時に、家族が待ってないといけないと言っても聞かない本人に対して、外来は手が足りないから、説得につきあったり、少しの気分転換の散策につきあうなどの人手が出せないとたいていの病院は言います。
会計をしている間、移動したくなった本人、家族は会計中で離れられない時、どうしたらいいでしょうか。
第三者の存在が必要です。
介護保険では、それはできません。
自費ならできます。
自費でヘルパーを使うと最低でも一時間2000円と言われます。
病院にいる間中だとしたら、いくらかかるでしょうか。
早期発見、足腰が達者で、移動能力が高い認知症患者さんが集中して訪れる病院には、院内のシステムを改善して外来での待ち時間や会計時の第三者の役割をたなう存在を用意しないといけないと思います。
たとえ、順番が近づいたら、携帯電話で呼んであげますよとしたところで、電話がきたから診察室の前に戻ろうと言っても家族の言うことを聞かないケースだってあるので、第三者に言われる方がすんなり行けるなら、やはりそこはそのようなポジションがとれるように、医療側で用意してほしいものです。
医療従事者はその必要性は一番判っているはずです。
医療保険の仕組み的に、そこまでの費用加算がないから、コストがかかってできないのであれば、医療制度の改定が必要です。
介護保険も入院中の認知症患者さんへの付き添いについて、ヘルパーを使う事も改訂していかないと、家族が倒れます。家族がいればまだいいですが、いなかったら独居老人だったらどうするのでしょうか。
今まで制度の隙間で認知症患者さんが外来や入院で、だましだまし生きてきたのだと思います。その中で拘束や投薬による鎮静などがあったのだと思います。尊厳というものが、家族がいない事で無視される。家族が十分付き添えない事で無視されてしまうのは、いかがなものかと思います。
こういう事も、財政が破綻しかけている日本にとっては、棚上げなんだろうなと思います。
でも、こういう事こそやらねば、家族が介護に明け暮れて、介護ストレスで倒れたり、労働資源が介護で疲弊します。
要介護者を持つ家族にとって、ワークライフバランスは、ワークが低くライフが高くライフの多くが介護ということになってしまいます。健康な方で構成された家庭であれば、ワークばかり高く、ライフで遊んだりいやしたりの時間が少ないと不平を言うのですが、遊ぶや癒すなどの心の余裕がないのが同居介護家族なのだと思います。
別居、遠距離というのは、介護とは言えないと私は思っています。そういうと、えーっと言われる方も多いと思います。あまくで私の見解ですし、それぞれ事情やら、本人の気持ちやら、家族の気持ちやら、色々あるんでしょう。私は幸い同居を続けられていますが、続けられない程の介護ストレスが発生した事もあります。人格がかわったり、正確がかわったり、記憶が飛ぶ人との同居は並大抵のものではないのです。
ま、そんな中で、思うのは、同居していない常態で遠距離で介護していますという方の場合、費用負担しているだけ、あるいはたまにケアマネのプランに代理同意したにすぎないと思っています。
本当の暮らしの大変さを知らないし、その嵐をさけているとも思う事があります。
本人の常態を把握しておらず、たまにいって進行を感じて帰るにすぎない。
そして、現実の暮らしの中での問題に見て見ぬふりをして、自分たちのワークライフバランスが変わるよりも、それぞれの生活があるという都合のいい言葉で、大切な人たちを放置し進行にまかせて、自分たちの事を区別できない日々が来る事に抵抗をしない人たちに見えます。
現実世界の中に、家族が同じ時を一緒に生きられるのは、本当に貴重な事で、なくなってしまってから気づく大切な人、大切な時間では、遅いです。
都会に就職したりして、離れている田舎の親が発症しているなどの時に、どうすべきか、都会に引き取っても都会になじめない、田舎においておくのも、放置しているに近いのはわかっている。そんな時どうするのか。
核家族化している今の時代にあった対処方法を考えないといけないなぁと思います。
昔は三世代が同居しても当たり前、一番年長世代が呆けても、一緒に暮らして呆けた事をしても平気で孫やひ孫が一緒に遊んで見守って、老衰で無くなるまで同居なんて事が当たり前だったのではないかと思います。
今の時代にあった解決方法をみつけないと、遠距離介護という問題は解決しないように思います。
独居もそうです。
独居には、信頼できる他人、専門職が初期から担当し、進行に付き添ってあげなければならないと思います。猜疑心の固まりになる前に、家族のような立場で、行く末を見守ってくれる、適当な支援を用意して暮らさせてくれる専門職がいると思います。
介護や医療、地域、様々な要素を見直したり、制度を改革していかないと、これからの日本の高齢化社会も、医療技術の高度化による認知症の早期発見も、無駄に終わり、財政破綻が加速する事でしょう。
厚労省に届いているのかなぁ。現場の専門職の思い。家族の思い。
地元から政務次官になられた山井和則議員にメール書いてみたらと、何人かの山井先生の知り合いの方から推薦されて、書いてみたんですが、貧困問題やら、なんやらで、忙しいのか、私など下層の話は秘書の下のほーで止められているのか、何の音沙汰もありません。
やっぱり、当事者の苦境から出る話なんて、理性的じゃないし、非論理的だしって思われてるのだろうかとか、当事者ってだけでは誰も耳をかさないのかなと、無力を感じます。
有職者とか、研究者とか、専門職とかが、本人や家族よりも発言権があるのかなぁ。
なんだか嫌な世の中ですね。
当事者を無視して、専門家を名乗る人たちで制度が作られるのは。
だから、レスパイト的介護保険の利用がすべて却下なんですよね。
倒れて誰も面倒を見れない事態になってるなら、ヘルパー使っていいですよとか。
ありえないですね。
介護できる人が存在しても、その人のワークライフバランスを維持しながら介護ができるように、制度利用させるぐらいのふところの深さがないと、介護ストレスによるウツや、介護心中などが絶える事はないんじゃないでしょうか。

2010/1/18 立派な人間ではありません

いつも思うんですけど、私は一般人並の能力がないと思います。
心身共にグレード低いです。
元ひきこもりで、未だにひきこもり傾向が強いし、特に冬場は冬眠モードです。
小さい時から、たとえば今で言えば、児童虐待っていうものや、いじめに値するもの、内臓疾患による長期入院や、母が宗教にだまされて連れて行かれる事多数、慢性疾患の担当医からの言葉かけのミスで心に傷を負ったまま、育ててくれた祖母の死と母のイカレタ行動、神戸の震災の恐怖、殺されかけた記憶、様々なものが10歳頃から主に20歳頃までに蓄積して、そこから先は父との二人暮らしの中で、父がどんどん発症していき、会話が成立しなくなってしまうという状況が過ぎて今の私があります。
その中で、たくさんのストレス原や、トラウマが私の中に残り、介護ストレスで(介護ストレスと呼びたくないんですけど、介護と思ってないので、家族にとて介護ではなく、家族として一緒に暮らす為の日常行為ですから)もともとの心の常態が悪化するのは当たり前です。
だから、私は今すごく調子が悪いです。心の健康がヤバイです。
でも、みなさん何らかのストレス原やトラウマを持ちながら、暮らしていらっしゃるのと同じように、私も自分なりに生きています。
暮らしは絶対日常として発生する出来事で、生きているからには暮らさねばなりません。
時々よく頑張っているとか、立派だとか、忙しいでしょうとか言われると、頭の中でそれらを全否定です。苦笑
もし健康なら、こんなにひきこもってはいないし、もっと能動的に何事にも取り組んでいただろうと思います。
第一、日本にいなかっただろうと思います。
でも、健康な自分らしく能動的に生きてる私だとしたら、実家にはいないし、父が発症しても気づかないままだったでしょう。認知症になった父の姉にも気づいてあげられなかったでしょう。
父の姉のように、父も父の兄にしきられて、診断の為に内科の検査で入院とだまされて入院し、診断を受けて老人ホームだっただろうと思います。そして、私が時々帰国したら、父は毎回どんどん記憶が悪くなり、歩けずこけて、入院し、水頭症の話が出て手術はどうしますかとなっても、父の兄が、父の姉にしたように、頭の手術なんてとんでもないという判断で父の兄によって、手術が見送られ、寝たきりになり、帰国したら私の事が区別の付かない常態になっていただろうと、思えてなりません。
適切なタイミングで、日本の医療と介護の制度の限界の中で、本人に一番適切な事をし、そばで進行を把握する人間がいないと、本人らしい時間は加速度的に少なくなってしまっただろうと思います。
私のそばには、二人の認知症患者がいます。だからこそ、その違いに対して、よく比較して考え、何が本人の望む暮らしか、家族の望む暮らしか、何をどう選ぶのがいいのか、裏と表のように違いがあった二つの事例を元にして考えています。
父は私が実家を出てしまっていたら、私は出て、戻りましたけど、出たままだったら、どうなっただろうか、父の姉のように独居でどのように進行しただろうか。同じ認知症だけど、症状も当初の頃がとっても似てるけど、分岐点は何か、どういう違いで、どうなったのか。
医学的に言うと違う認知症の種類かもしれませんけど、父の姉にも父と同じだけの環境と、配慮する人間がいれば違ったんじゃないのかという思いが常にあります。
そうしてあげられなかった、無力感。
自分の慢性疾患さえなければ一人も二人も一緒だし引き取ったのにという思いと、とてもかわいがってくれていた独居の叔母の事を十分に対応してあげられなかった悔しさでいっぱいです。
それがあるから、今いろんなケースに対して、他人事ではなく、考えていけるのかもしれません。
家族の立場でも考えますし、家族の立場の方がよくおちいる介護ストレスや、それによっておこる記憶障害、集中力の低下で自分も認知症になったんじゃないかという不安も、体験しています。家族性で遺伝するんじゃないのかという点でも診察を受け検査もしました。精神科の医師や専門医によって、その見解はそれぞれ違いました。いいかげんなものだなと、感じました。
そういう家族の思いもわかりますし、発症したかもしれないと思う人の心理や、発症した本人の視点での考えなども思いいたる事ができます。
ただ、それだけであって、何かが秀でているとかで、立派というわけではありません。
社会の根底の、役立たずの分類に入る人間グループに属していると自分では思っています。

でも、役に立つ事があるならやろう、自分のように後悔してほしくないから、そういう事になりそうな人を、自分の経験をいかして支援しよう。
そんな思いで、関係者ですら、人があまりしない事をしているにすぎません。

さて、今日は、朝から宇治市の高齢者向け事業についての、事業計画の見直しなどをする委員になったので、その会議に行ってきました。
会場がやたら寒くて、外で立っているのより寒いかもというぐらい、じっとしていると冷えてきて、どうしようかと思う常態でした。エコかなんかわかりませんけど、全館これなら役所の職員さんも大変だなぁと。
計画を見て思った事は多々あります。
あえて言いませんが、お役所ってこうなっているんだ。
行政というものの仕組みがわかりました。
私が医療や介護、事業所計画に不足を感じる部分について、だからか、と仕組みにおける納得はいくのですが、残念な事ばかりです。
所詮市民委員の一人にすぎず、有識者でもなんでもないので、発言も弱いですし、市民委員の中でも一番若いので、本来、そうなんだーという感想を言ってるような立場なのだろうなと思いながら、あえて何点か発言してきました。

午後から、京都文教大学さんの精神保健福祉士科目の担当教授に会いました。
ゼミの学生さんを四月以後にボランティア的に、認知症友の会の活動に参加させて下さるとの事で、彼らの経験を増やすと共に、私達の人で不足を解消する計画です。
コストもかからないので非常に楽しみです。
一年ちょっと活動を続けて、やっと他人が評価し、関わってもらえるところまできたのだなぁと思いました。
助成金をいくつか申請しているので、一年経過した団体として申し込めるようになったのも大きな変化ですから、これも通っていくようになれば、運営も楽になりますし、事業の幅も出ます。当事者のみが手作りで運営するような会から、専門職の支援者を有償ボランティアで来てもらう予算もでるし、進行して交流会での時間を過ごすのには専門職の力がいるケースに対しても、対応ができるようになります。
助成金ベースの運営はあぶなっかしいので、あまり健全ではないですけど、今はそれで良いと思います。
そのうちスポンサーがついて、いろんな事業を支援してくれたら、それで良いと思います。
当事者からカネをとって支援するのは嫌です。
外国のように、障害者団体の活動が寄付で運営されているような形になればいいのにと思います。

2010/1/18 0qd f

2010/1/18 0qd f

2010/1/11 清水寺




昨日の交流会、私はいつもそうですけど、疲れます。
基礎体力がないので。爆

で、祝日の今日は、家でボーっとするはずが、出かけたがりの息子と、家にいると布団から離れられない父の為に出かけることに。

清水寺の少し下のお墓参りして、清水寺へ行きました。
父方の墓ですが、父の男兄弟のところの息子達は、他府県に居るので、年一回帰るかどうかで、墓も来てるんだかどうだか。

写真はうちの墓地から上がっていったら見えるショット。
それと、変顔で撮ると言って撮ったやつ。
で、とりあえず、父と父の兄弟が来なくなると、私か、他府県の従兄弟かが墓をみるわけで。
従兄弟が年一帰ってきてみるのか?はよくわからないので、私が一番通いそう。
ふらっと墓地に行くのが好きだし。苦笑
清水寺の方はそうでもないけど、母方の墓地は伏見桃山城の裏なので近いし、昔からよく行くんです。
とはいえ、清水は結構坂で、かなーり疲れるんですよ。。。
ほんと体力ないんで。爆

そこで、今回、息子にそれを説明して、ママがーそのうち登山ムリーって言い出したら、あんたが墓をみに行かないといけないんだよーって。
桃山のお墓は特に、カラスがちらかしても管理がしょぼいので放置されているような事が多く、そんな時になぜかふらっと行きたくなって、掃除する事になるんです。
清水のは管理人が結構みてるようなので、そういうのはあんまりないんですけど。
で、まぁ、息子に墓の位置を覚えさせて、結構難易度高いんですよ、清水寺の下のは。ご存じの方には判ると思うんですが。しゃれにならないくらい多い。。。しかも通路が雑多。。。

で、いきつけの墓守さんのとこに道具が保管されているので、かりに行くのですが、その墓守さんも並んでいるので、どっちか間違うと、道具がなくて困るので、それも覚えさせて、取り出してくれる道具には父の兄の名前が入っていて、天井にぶら下がっているので、どの辺かを覚えさせて、料金システムも覚えさせ、返却システムも覚えさせて。。。もちろんご挨拶も覚えさせて。
うちの子はそういうの好きなので、わかったーって、嫌がらず覚えるんですけど。
父は歩くのが嫌なので、道具をかりに行く間お墓で待ってました。
そうそう、この日は、トイレ行くわーって、清水寺の公衆トイレ行って戻らなかったんですよ。
一応「行くわー」の時に、息子は行きたくないって言ったけど、ついて行かせました。

で、二人して戻らないし、なんなのーってトイレの前まで行くと、いつもの公衆トイレに気配がない。
どーゆーこと?!
なにやら私のレーダーには、向かいの有料全自動全館清掃公衆トイレがひっかかる。
これに入っているのか。。。
とりあえず待つ。

ずーっと待つ。
看板によると、なにやら一定時間をすぎると延長を押せば滞在時間が延長できるらしい。

延長したな。。。

寒いんですけど。。。

これ暖房入ってるのかな。。。

またウンチか。。。

長い。

これは絶対ウンチだ。

そうこうして待ってると、息子がスキップして出てきました。
息子にトイレを使ったのか聞くと、待ってただけーっ、おじいちゃんがウンチしてたーっ。
やっぱりね。
寒いのに待ってたんだよ、なんでこんな遅いの?
暖房入ってたもん。
やっぱり。。。

で、父が出てきて、ゴキゲン。
もーっ。
ウンチならウンチゆっていき。
出てくるの見逃したか思たわ。
ていうか、なんで有料使ってるん?
こないだ、あんなん使わへんって言うてたやんか。

って、こういう事はしょっちゅうある。
言ってた事が変わる、だまってどっかに行く、トイレがやたら長い。
息子も、またかと言う程、よくある。

携帯電話をかけて、どこにいるのか聞くと、トイレの中とか。
電話しながら笑ってるし。
探されて面白いらしい。

2010-1-10「認知症ホッとタイム」







今日は、3A体操というのをする為にNPO法人認知症予防ネットさんが来てくださいました。
認知症の発症予防や、進行抑制に効果があるとの事です。
進行し始めの初期や、中期以後の高齢者には受け入れられやすいと思うのですが、現在の私達の仲間にはどうかという点で心配しつつの体験の二回目でした。
昨年の1回目にお休みだった常連さんがいらしていて、ダメかもしれないと思いつつやってみましたが、ダメでした。
なので、左の写真はダメじゃない人たちの3A体操です。
いくつかの頭の体操を体を使って行っておられました。
写真を撮った私は、3Aが不適当な常態におられるご本人さんに付き添いつつ、写真を撮っていました。
そうだろうなぁと思ってはいたんです。自分の観察と評価が正しかったのは判ったのですが、3Aができない時期におられる方にとって、極端に言うと騒音でしかないので、連れ出してあげたいのは山々ですが、家族との分離不安があるので、そうもいきません。ご家族には3A体操で気分転換ができていたので。
できないご本人をどのようにして、3Aの時間を過ごしていただくかが課題です。
次回の導入について、騒がしくないものを御願いする事にしました。
している時間は、私がまたその方に付き添えばなんとかなるかなと。
静かなものなら一緒に出来るというわけでもないので、できない前提にしておかねばなりません。
本人にも来て下さった事でプラスの効果を与えてあげたいので、なにをするとプラスか常に考えています。
奥様だけでも気分転換ができれば、本人にとってもプラスであるとは思いますが、本人が過ごす時間にもプラスがあってほしいと思うので、もっと工夫をしなければと思います。
右の写真は、3Aの前に3Aの先生が持ってきておられた、新聞広告を使って、折り紙をしているところです。
みんなで飛行機を作って、飛ばして遊びました。
たとえば、この時、息子がいなかったら、何で「俺らが折り紙するねん」という思いが出てきたかもしれません。
息子が居る事で、息子と一緒に遊ぶ感覚で折り紙をして、飛行機の飛ばしあいっこをしてくれました。
折り方覚えてるんですよね。すごいです。
飛ばして喜ぶ姿は、子供のようです。
そしてきっと、その時の脳には、幸せ物質が放出されてそうです。
息子の効果は高いのですが、たとえば、やんちゃで、ゆうことを聞かない、ぎゃあぎゃあ言うタイプの子供だったら、きっと彼らはイライラして、帰るとか、うるさいとおこったり、こんなとこに来るなと言ったりするでしょうし、遊んでやる気にならなかっただろうと思います。
症状の一つですが、うるさいものは大嫌いですから。
うるさいとも感じなくなる時がくるのですが、それまでは、その進行度合いに応じて、軽度であれば我慢できますが、進んでいけばいくほど、騒音が嫌いになっていきます。まわりの自分に関係ない音はすべて嫌なのです。
クリスティンさんの本にも、まわりの音に圧倒される感じについて書いてありますが、認知症患者さんは、自分のまわりの音の中で、自分に関するもの以外を気にかけないというみんなが当たり前に発揮している能力を、きっと少しずつ失っていかれるのだと思います。
まわりが騒音になっていく中で、理論的には逆とも言えるのですが、まわりの音どころか自分のおかれている環境に対して反応する、気にする能力を失っていくのも同時進行です。
そして、さまざまな能力が低下していくと、うるさいとも反応しなくなります。
少なくとも反応する間は、適切な環境づくりを極力、まわりが心がけてあげたいものです。

2010/1/8 えびす神社


今年は何年かぶりにえびす神社に行く事にしました。

まず、伏見稲荷に行きました。

伏見稲荷は、なにかと通りかかって、三が日など渋滞してないやろー、なんていいながら通る事三回、すべて渋滞に巻き込まれ、駐車場もとめられないので、初詣できないねーと前を通っていました。

この日は、夕方でしたが、とめられたので駐めてやっと初詣しました。

それから上鳥羽の駅の近くのコインパークに駐めて、京阪に乗って、えびす神社に行きました。

えびす神社までの道が私にはわかりません。

何回も来ていても、方向音痴というか、私の脳にはナビ機能がついていないというか、地図機能がないというか、本当になんとなくしか道がわからない人なので、父が頼りです。

父には古い記憶があるので、四条界隈は昔よく仕事や何かでうろついて知っていて、問題ないらしく、ちゃんと連れて行ってくれました。

こんなん建ってたっけ?とか、いいながらも、ちゃんと行けたんで問題なしです。

しかし昔に比べ、クマザサ高いですねー。

商売始めたら買います。爆


息子は何度か来ている伏見稲荷をイマイチ覚えてないらしく、上りたいとかなんとか言ってました。

えびす神社は小さい時に連れてきていたので、覚えていなくても仕方ないですが、楽しそうでした。
写真は伏見稲荷です。

2009/12/16 学習障害

今日は、小児科の予防接種のあと、子供の小学校の面談に行きました。疲れました。

最近の子供達は昔の子供達より、細かく能力評価されており、できが悪いと病気や障害を疑う傾向がありま
す。
しかし、それは文明の進化とも言えますし、教育に関する研究の成果でもあると思いますし、医療における子供達の発達という分野の研究の成果が、社会的に発揮されるようになってきた、あるいは欧米化したとも言えると思います。
私の感覚では、10人の子供がいると、そのうち2~3名が、何らかの発達の問題があるように思います。
昔私が子供の頃は、40人に2人程度いるかいないかではなかったかと思います。
発見しやすくなったというだけでなく、その分野が知られるようになったからではなく、発生頻度が上がっているように思います。

学習障害のある子供達の一部には、際だった能力をもつ場合がありますが、それも子供時代には昔は評価されず、大人になってそれが活かされて初めて評価される事が多いのは残念に思います。

私自身も学習障害があるのではないかと常々思ってきましたが、大人になった今となっては、正しい評価をする機関は日本ではほぼ存在しないようです。
日本はおくれているなぁと思います。
大人になって気づく場合に、それを正しく評価していないと、暮らしにくさにつながるのではないかと思います。
精神科の掲示板には、子供の相談機関が書いてあると同時に、大人のADHDなども、職場の症状ではこんなのはありませんか?などと書いてあります。では、それを疑って医師に伝えたところで、精神科薬を出すだけで、障害と評価しないようです。相談機関が対応を多少するようですが、評価をしてそのレッテルを貼ってもらう事で、職場で理解してもらって、配慮してもらえば仕事がしやすくなり、特有の突出した能力が活かたりして、会社にとってもプラスになるんじゃないのかなぁと思います。
日本はもう少し学習障害等の児童期から成人にかけての、評価と社会での暮らしやすさについて、対応した制度や相談施設をしっかり配備すべきだと思います。
職安に来ている人、失業者の中、精神科に来ている人の中には、そういう方がいそうに思えてなりません。
人材の有効活用には、障害の評価も必要なのではないのかと思います。
というと、ちょっと怒られる先生もいそうですが。。。
私が去年の春卒業した大学の先生で、児童期カウンセリングなどの科目をしておられた先生は、レッテルを貼るのはいけないと言っておられました。
確かにレッテルを貼ると、役立たずですといわんばかりで、就職難や、進路が狭まったりするし、まわりの見る目もかわるかもしれません。
でも、それって、偏見が生んだものでしかないですよね。
自分は何が不得意であると、明記できて、無理やりそれをやれと求められる事はないなら、その人は障害ゆえのストレスをかけられないですむと思うんです。偏見をもって扱われるとしたら、それは社会的に理解が進んでいないからで、偏見をする人間の人権教育のレベルが低いからです。
障害として見分ける方法がこうして出来てきて、LDやADHDなど、欧米並に認知されるようになってきたのですから、それを多くの人が理解し、その特徴をもつ、その障害をもつ人たちと共存する方法を学んでいけば、暮らしにくさも解消されるし、迷惑をかけられるから雇用できない友達になれないなどという差別を受けずにすむのではないかと思います。
今、認知症の事を小学生に学習させる機会を作る自治体が増えてきました。
核家族で老人と同居する子供達の少ない中で、徘徊する他人の老人や、病院で出会う混乱したお年寄りなどに対して、正しい知識で子供達が接し、将来自分が認知症を発症した祖父母と接する時、あるいは父母と接する時に、選択を誤らない為の教育が行われています。
では、障害のある人たちについても、見た目でわかる視覚障害や肢体不自由、明らかに言動が違う事でわかる知的障害など以外に、普段のクラスメイトの中に存在する率があがってきた学習障害児について、子供達自身が学ぶ機会があれば、クラスの学習障害のある子に対して、いじめやできない事をせめる行為などが減り、その子のできない事に対しての配慮をはたり、サポートしたりするのではないかと思います。そうした理解が小学生からあれば、中高生でも学習障害のある仲間をサポートしたり、就職して大人になって、職場にそのような人がいても配慮しようと考えたりできるのではないでしょうか。

レッテルを貼るだけでは問題は解決しません。それに対応した仕組みと、社会理解、その障害をもつ人のまわりがどれだけ理解するか、その為の教育をおこなう事などが大切なのではないかと思います。
認知症も学習障害も、何らかの障害をもつ方にとっての生きにくさや暮らしにくさは、本人ではなく、まわりの人間に対して教育があれば解消できる事も多いのではないかと思います。

私は息子に対して、小学校にあがる前から、学習障害についての教育をしてきました。
どのように見分けるか、なにが苦手なのか、どのように接するか。
認知症についても、症状と、接し方を学ばせています。
他の障害のある方についても、みかけると、学ばせます。
手助けをする時の方法、手助けをした方がいいかの判断などです。
時には私が、手助けをするのを手伝わせます。
知らなければ、見て見ぬふりというか、自分が助けるべきかわからないし、そのまま素通りするケース日常よく見受けられます。
私は相手に聞きに行ってでも、手伝う必要があれば手伝うのだと教えています。
精神の患者さんや知的障害のある方との接触はとても難しい事も教えています。
知らなければ、相手にも自分にもマイナスだからです。
障害のある人が配慮して下さいと求める事は難しい事もあるので、障害を理解する為に知っておく事は知っておき、見て気づけるのならば、障害のある方が求めずとも、配慮した行動がとれる人に育ってほしいと思って、いつも教えています。

2009/12/15 免許の更新

父がデイに行っている間に免許の更新に行きました。
講習長かった。。。
認知症と診断されても交付される常態の免許はおかしいとずーっと思ってきました。
だんだん認知症の免許所有者を減らす取り組みが進んでいると思います。
認知症の人間が運転するのは、危険すぎます。
認知症ではない高齢者も、運転するのは危険なケースがあります。
いつもの車庫入れでアクセルとブレーキのふみまちがい。
間合いがうまくとれず合流で事故をする。
ブレーキがおそく、前の車に追突する。
農村部では必要な生活ツールだし、車も少ないから、それで高齢者に免許の取り上げはできない、というのもわかりますが、田舎で事故をしても本人だけですみそうですが、都会ではそうはいきません。
都会は高速道路の逆走を、しょっちゅう高齢者がやっています。
田舎の交通の不便さは行政が解消するとして、高齢者の運転をもう少し能力評価をしなおして、何かとっさに対してどう上手に反応できるかというテストを含め、テストの合格がないと継続交付しないようにするなど、70歳以上に対して、今以上に工夫して危険運転につながるケースを予防していってほしいと思います。

2010年3月5日金曜日

2009/12/14 訪問看護や医療について思う事

朝から精神科訪問看護の訪問作業療法さんが来て、父はゴキゲンです。
月曜はいつもそうです。
若くてかわいいおねーさんが来るので、たいてい布団をあげて、きちんと着替えて、お風呂も入って、掃除もして待ちます。
訪問看護なんて、なんで自分に必要か理解できず拒否した時もありますし、一日中ふとんに居た時期もありました。
その頃と比べると、この違いはすごく大きいです。
たとえそれが仕事で来ているのであっても、医療の為であっても、自分に対して会いに来る人がいるというのは、毎週の積み重ねで、絆もはぐくまれますし、習慣性もできますので、嫌だった時代が夢のように良い状態になりました。
すべての患者さんがこのようにいくわけではありません。
進行が強い方や、すでに随分進行している方は、このようにはいかないと思います。
しかし、本人と他人の絆が一つある事、なんであれ定期的に他人が来る事は、見捨てられた人のような気分の本人にとって、有効な薬だと思います。
家族はどこであれ相談機関があったり、介護者仲間が存在したりしますが、本人の孤独感や絶望感は、気持ちを話せる相手がいない事にも原因があり、そのような環境にある事で精神的症状、周辺症状、家族に対しての会話の円滑さなどにおいて問題が強まると思います。
訪問看護は、うまくいけばそんな本人にとって気持ちの話せる相手ができる事にもなります。
脳の常態が悪くなっていくせいでおきる記憶力や判断力、思考力、段取りなど様々な能力の低下とは別に、孤独感による精神常態の悪化によるウツの症状や、不安感という部分に対して、アプローチする事で、心の健康状態を改善し、肉体の衰えを避け、脳の活性化や、暮らしの中の家族との時間の有効活用につながっていくように思います。
デイは無理、年寄りが通うところ、行ってもどうにもならないという本人や家族、当事者の思いの中で、嫌でもなんでも本人の心のケアの為にやってくる訪問看護士は有効であると私は思います。
守秘義務があるから家族には言わない、本人とだけ話すというスタンスがあるので、本人も発症した事で思っている家族についての思いを話す事もできますし、病気に対する不安も暮らしの不安も話せます。
誰も本音を話せる相手のいない常態というのは、進行にとって絶対によくないと思います。
進行してしまって自分が認知症だと言われても、理解する事ができなくなっていても、家人が家族ゆえの介護の困難さに直面した時に、いつもの看護士さんがやってくる常態を作っていれば、少なくともその救いはあるのではないかと思います。家族が頼れる医療の専門職がいるわけです。病院に行く事も困難になるかもしれません。そんな時に頼りになるはずです。知らない看護士より、いつもの看護士であれば、記憶できないなりに、なんとなく受け入れるかもしれません。
私の知っている方で、私を誰か認識するのが困難になっておられる方がいらっしゃいますが、いつもの人的な存在として、にこにこ応対してくださいます。それは記憶できないなりに、定期的にお目にかかっているからどこかで覚えていて下さっていると感じます。
ということは、家族が本人に忘れられたくないと思うなら、会うべきです。
たまにしか会わないと、どんどん忘れるのはあたりまえです。
遠距離介護とか、別居されている子供世代は、忘れられたくないなら、会うべきです。
同居していても忘れられてしまう時はいつか来ます。
けれども別居している事で会う機会が少なく、忘れる速度が速いのはどう考えても当たり前です。
忘れられてからショックを受けるよりは、会うべきです。
経験談です。
忘れられた経験があるので。

父の発言の中には、時々なるほどと思う事があります。
デイは行くべきだ。
一度拒否し、その後訪問看護のおかげで、ひきこもりを脱却し、デイ見学ツアーをし、デイに通う事で能力維持ができる事を理解した本人が言うのですから、正しいのだと思います。
けれど、私はデイに行く事がストレスなら行くべきではないと思います。
たとえば最初からデイに嫌々通わせていたら、迎えが来たよ行って、と行かせていたら無理だったと思います。ストレスをかけてしまっただろうと思います。
今でも高齢者の方、進行した方と過ごしている中で、自分もああなるんだと思うとストレスだと言います。そんなストレスを毎日与える事になるのです。
自分から行く事に意義をみつけたら行くべきです。
けれど進行してしまうと、行く意義が自分でみつけられません。
行く事にストレスではない老人ばかりでも進行した方ばかりでもないデイがあれば良いなと思います。
進行する前に、ぜひデイに行く意義をみつけて行き始めてほしいですし、ご家族には本人の自尊心を傷つけないスタッフのいる、受け入れてくれるデイを見つけてほしいと思います。

今日は、訪問看護のあと、新型インフルの予防接種に行きました。
ちょっと気になる事がありましたが、書けません。
インフルエンザの予防接種は毎年必ずしています。
誤飲しやすいので、肺炎も心配で、肺炎の予防接種も受けました。
肺炎の予防接種は5年有効だそうです。
じゃあまた五年後かというと、一生に一回だそうです。
意味がわかりません。
実費でうつんだし、五年ごとで別にいいと思うんですが。

うちの父の場合、脳より先に体がダメになるのではないかと、よく話ています。
認知症があるから私が聞くというと、どの医師も本人の扱いがいい加減になる気がします。
認知症の患者に丁寧に対応しても意味がないというような。。。
人権や尊厳がないような対応をみかけます。
あからさまに出はないですが、コンビニ診療に拍車がかかるような。
本人が何か言っても取り合わないのです。
どこか時々痛むとか言うと、ふーんあっそう、的な感じ。
それよそでみてもらって。という態度。
めまいがすると言うと、耳鼻科、耳鼻科で言うと、脳外、脳外で言うと、精神科(認知症主治医)へ、そんな調子です。
たしかに、原因はどの分野にも可能性が考えられますが、自分のところを否定する理由ぐらい出してから回すならわかります。ただのたらい回し的な対応はやめてほしいです。
たまーに真剣にとりあってくれる先生に出会うと、ちゃんと本人の訴えを聞いた上で、家族にもそうなんですかという目を向けて、訴えの頻度などを聞いた上で、じゃあ専門医の何科に行くといいですと言う先生がいます。
それが当たり前であってほしいのですが、それがマレなんですよね。。。
認知症患者の家族が、認知症専門医で満足を覚えないケースをよく聞きますが、認知症専門医でさえも、本人や家族に向き合う姿勢がなく、コンビニ診療をしている、あるいは認知症につける薬はない、認可薬なんて限られてるんだから一ヶ月分処方すれば事足りるとばかりの印象を持つ事があります。進行するしかないのも、薬がないのもわかるんですけど、周辺症状にしっかり薬だけでない対応をする必要が絶対あります。
家族の気持ちを受け止めるだけでも、家族は聞いてもらった事、常態を知ってもらった事で、少し気持ちが軽くなります。それで本人に対しての対応がマシになると思います。誰も聞いてもくれない、専門医ですら、家族の大変さを理解してくれないと感じたら、絶望感が増して、家族は暮らしの中の気持ちが追い詰められていきます。
家族の気持ちだけでなく、本人の精神状態の把握ももちろんしてほしいです。
本人が家族とけんかごしでしか団らんを持てないとしたら、それは自分の病気による能力低下に腹を立てているのかもしれないし、思い悩んで自分だけで思い詰めているからかもしれない、心の健康状態を損ねているだけで、心の元気を取り戻せば、記憶等のメインの部分以外は、本人らしさを取り戻して家族と毎日の暮らしを大切にするかもしれない、そう考えて、本人の気持ちの行き場をケアに打診したり、何らか本人に対しての見つめる目をもって接してくれたら、本人はあ、ここに理解してくれる先生がいる。治らないけど、毎月会って進行を見守ってくれる先生がいる、理解してくれる人がいると思えたら、どんなに救われるでしょうか。
ガンだったらどうでしょう。きっと、先生は同情して優しく接してくれます。
認知症患者さん本人に、本人の心を大切に尊重して話しかける先生がどれほどいるでしょうか。
家族にすら、そんな話しかけ方をしていない先生が多いのではないでしょうか。
認知症専門医でもそんな調子であれば、他科の先生は、本人や家族に対して、どうでしょうか。
何科の先生でも、本人の気持ちを尊重し、付きそう家族の気持ちを大切にして、接する事を忘れて、日々の診療をこなす事と、治せる人を治す事、進行する人に投薬で緩くすればいい、それだけが仕事で、人対人を忘れている人が多いように思います。
接客業だと時々聞きますが、接客業以上であるべきだと思います。
医療に心が伴っていれば、もっと効果があがるのではないかと思います。