今日は、小児科の予防接種のあと、子供の小学校の面談に行きました。疲れました。
最近の子供達は昔の子供達より、細かく能力評価されており、できが悪いと病気や障害を疑う傾向がありま
す。
しかし、それは文明の進化とも言えますし、教育に関する研究の成果でもあると思いますし、医療における子供達の発達という分野の研究の成果が、社会的に発揮されるようになってきた、あるいは欧米化したとも言えると思います。
私の感覚では、10人の子供がいると、そのうち2~3名が、何らかの発達の問題があるように思います。
昔私が子供の頃は、40人に2人程度いるかいないかではなかったかと思います。
発見しやすくなったというだけでなく、その分野が知られるようになったからではなく、発生頻度が上がっているように思います。
学習障害のある子供達の一部には、際だった能力をもつ場合がありますが、それも子供時代には昔は評価されず、大人になってそれが活かされて初めて評価される事が多いのは残念に思います。
私自身も学習障害があるのではないかと常々思ってきましたが、大人になった今となっては、正しい評価をする機関は日本ではほぼ存在しないようです。
日本はおくれているなぁと思います。
大人になって気づく場合に、それを正しく評価していないと、暮らしにくさにつながるのではないかと思います。
精神科の掲示板には、子供の相談機関が書いてあると同時に、大人のADHDなども、職場の症状ではこんなのはありませんか?などと書いてあります。では、それを疑って医師に伝えたところで、精神科薬を出すだけで、障害と評価しないようです。相談機関が対応を多少するようですが、評価をしてそのレッテルを貼ってもらう事で、職場で理解してもらって、配慮してもらえば仕事がしやすくなり、特有の突出した能力が活かたりして、会社にとってもプラスになるんじゃないのかなぁと思います。
日本はもう少し学習障害等の児童期から成人にかけての、評価と社会での暮らしやすさについて、対応した制度や相談施設をしっかり配備すべきだと思います。
職安に来ている人、失業者の中、精神科に来ている人の中には、そういう方がいそうに思えてなりません。
人材の有効活用には、障害の評価も必要なのではないのかと思います。
というと、ちょっと怒られる先生もいそうですが。。。
私が去年の春卒業した大学の先生で、児童期カウンセリングなどの科目をしておられた先生は、レッテルを貼るのはいけないと言っておられました。
確かにレッテルを貼ると、役立たずですといわんばかりで、就職難や、進路が狭まったりするし、まわりの見る目もかわるかもしれません。
でも、それって、偏見が生んだものでしかないですよね。
自分は何が不得意であると、明記できて、無理やりそれをやれと求められる事はないなら、その人は障害ゆえのストレスをかけられないですむと思うんです。偏見をもって扱われるとしたら、それは社会的に理解が進んでいないからで、偏見をする人間の人権教育のレベルが低いからです。
障害として見分ける方法がこうして出来てきて、LDやADHDなど、欧米並に認知されるようになってきたのですから、それを多くの人が理解し、その特徴をもつ、その障害をもつ人たちと共存する方法を学んでいけば、暮らしにくさも解消されるし、迷惑をかけられるから雇用できない友達になれないなどという差別を受けずにすむのではないかと思います。
今、認知症の事を小学生に学習させる機会を作る自治体が増えてきました。
核家族で老人と同居する子供達の少ない中で、徘徊する他人の老人や、病院で出会う混乱したお年寄りなどに対して、正しい知識で子供達が接し、将来自分が認知症を発症した祖父母と接する時、あるいは父母と接する時に、選択を誤らない為の教育が行われています。
では、障害のある人たちについても、見た目でわかる視覚障害や肢体不自由、明らかに言動が違う事でわかる知的障害など以外に、普段のクラスメイトの中に存在する率があがってきた学習障害児について、子供達自身が学ぶ機会があれば、クラスの学習障害のある子に対して、いじめやできない事をせめる行為などが減り、その子のできない事に対しての配慮をはたり、サポートしたりするのではないかと思います。そうした理解が小学生からあれば、中高生でも学習障害のある仲間をサポートしたり、就職して大人になって、職場にそのような人がいても配慮しようと考えたりできるのではないでしょうか。
レッテルを貼るだけでは問題は解決しません。それに対応した仕組みと、社会理解、その障害をもつ人のまわりがどれだけ理解するか、その為の教育をおこなう事などが大切なのではないかと思います。
認知症も学習障害も、何らかの障害をもつ方にとっての生きにくさや暮らしにくさは、本人ではなく、まわりの人間に対して教育があれば解消できる事も多いのではないかと思います。
私は息子に対して、小学校にあがる前から、学習障害についての教育をしてきました。
どのように見分けるか、なにが苦手なのか、どのように接するか。
認知症についても、症状と、接し方を学ばせています。
他の障害のある方についても、みかけると、学ばせます。
手助けをする時の方法、手助けをした方がいいかの判断などです。
時には私が、手助けをするのを手伝わせます。
知らなければ、見て見ぬふりというか、自分が助けるべきかわからないし、そのまま素通りするケース日常よく見受けられます。
私は相手に聞きに行ってでも、手伝う必要があれば手伝うのだと教えています。
精神の患者さんや知的障害のある方との接触はとても難しい事も教えています。
知らなければ、相手にも自分にもマイナスだからです。
障害のある人が配慮して下さいと求める事は難しい事もあるので、障害を理解する為に知っておく事は知っておき、見て気づけるのならば、障害のある方が求めずとも、配慮した行動がとれる人に育ってほしいと思って、いつも教えています。
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