フェイスブックでの代表の日々の投稿

Facebook
公開設定での投稿については、フェイスブックをご登録されていない方でもご覧いただけます。
https://www.facebook.com/terumiyoshida

2010年3月6日土曜日

2010/2/21 認知症専門医の受診日

今日は、お友達と一緒に受診に行きました。
転院してこられたので、同じ時間にしてもらって一緒に受診を待って、おしゃべりをし、終わったら一緒にご飯を食べました。
認知症患者さんは、入院する時に病院側から、面倒みるのは家族で御願いしますという内容を言われる事があります。人手不足なので、徘徊につきあえないし、目くばりもできない。点滴などがある場合は、ぬかれるとまずいので家族がつきそって見張るようにと言われます。
外来もそうです。通院で連れてきて、本人がよそに行きたくなって、診察室の前を離れる場合に、誰が診察の番が回ってきた事を知らせる事ができるでしょうか。
帰りたくなってしまって、外に行くと言い出した時に、家族が待ってないといけないと言っても聞かない本人に対して、外来は手が足りないから、説得につきあったり、少しの気分転換の散策につきあうなどの人手が出せないとたいていの病院は言います。
会計をしている間、移動したくなった本人、家族は会計中で離れられない時、どうしたらいいでしょうか。
第三者の存在が必要です。
介護保険では、それはできません。
自費ならできます。
自費でヘルパーを使うと最低でも一時間2000円と言われます。
病院にいる間中だとしたら、いくらかかるでしょうか。
早期発見、足腰が達者で、移動能力が高い認知症患者さんが集中して訪れる病院には、院内のシステムを改善して外来での待ち時間や会計時の第三者の役割をたなう存在を用意しないといけないと思います。
たとえ、順番が近づいたら、携帯電話で呼んであげますよとしたところで、電話がきたから診察室の前に戻ろうと言っても家族の言うことを聞かないケースだってあるので、第三者に言われる方がすんなり行けるなら、やはりそこはそのようなポジションがとれるように、医療側で用意してほしいものです。
医療従事者はその必要性は一番判っているはずです。
医療保険の仕組み的に、そこまでの費用加算がないから、コストがかかってできないのであれば、医療制度の改定が必要です。
介護保険も入院中の認知症患者さんへの付き添いについて、ヘルパーを使う事も改訂していかないと、家族が倒れます。家族がいればまだいいですが、いなかったら独居老人だったらどうするのでしょうか。
今まで制度の隙間で認知症患者さんが外来や入院で、だましだまし生きてきたのだと思います。その中で拘束や投薬による鎮静などがあったのだと思います。尊厳というものが、家族がいない事で無視される。家族が十分付き添えない事で無視されてしまうのは、いかがなものかと思います。
こういう事も、財政が破綻しかけている日本にとっては、棚上げなんだろうなと思います。
でも、こういう事こそやらねば、家族が介護に明け暮れて、介護ストレスで倒れたり、労働資源が介護で疲弊します。
要介護者を持つ家族にとって、ワークライフバランスは、ワークが低くライフが高くライフの多くが介護ということになってしまいます。健康な方で構成された家庭であれば、ワークばかり高く、ライフで遊んだりいやしたりの時間が少ないと不平を言うのですが、遊ぶや癒すなどの心の余裕がないのが同居介護家族なのだと思います。
別居、遠距離というのは、介護とは言えないと私は思っています。そういうと、えーっと言われる方も多いと思います。あまくで私の見解ですし、それぞれ事情やら、本人の気持ちやら、家族の気持ちやら、色々あるんでしょう。私は幸い同居を続けられていますが、続けられない程の介護ストレスが発生した事もあります。人格がかわったり、正確がかわったり、記憶が飛ぶ人との同居は並大抵のものではないのです。
ま、そんな中で、思うのは、同居していない常態で遠距離で介護していますという方の場合、費用負担しているだけ、あるいはたまにケアマネのプランに代理同意したにすぎないと思っています。
本当の暮らしの大変さを知らないし、その嵐をさけているとも思う事があります。
本人の常態を把握しておらず、たまにいって進行を感じて帰るにすぎない。
そして、現実の暮らしの中での問題に見て見ぬふりをして、自分たちのワークライフバランスが変わるよりも、それぞれの生活があるという都合のいい言葉で、大切な人たちを放置し進行にまかせて、自分たちの事を区別できない日々が来る事に抵抗をしない人たちに見えます。
現実世界の中に、家族が同じ時を一緒に生きられるのは、本当に貴重な事で、なくなってしまってから気づく大切な人、大切な時間では、遅いです。
都会に就職したりして、離れている田舎の親が発症しているなどの時に、どうすべきか、都会に引き取っても都会になじめない、田舎においておくのも、放置しているに近いのはわかっている。そんな時どうするのか。
核家族化している今の時代にあった対処方法を考えないといけないなぁと思います。
昔は三世代が同居しても当たり前、一番年長世代が呆けても、一緒に暮らして呆けた事をしても平気で孫やひ孫が一緒に遊んで見守って、老衰で無くなるまで同居なんて事が当たり前だったのではないかと思います。
今の時代にあった解決方法をみつけないと、遠距離介護という問題は解決しないように思います。
独居もそうです。
独居には、信頼できる他人、専門職が初期から担当し、進行に付き添ってあげなければならないと思います。猜疑心の固まりになる前に、家族のような立場で、行く末を見守ってくれる、適当な支援を用意して暮らさせてくれる専門職がいると思います。
介護や医療、地域、様々な要素を見直したり、制度を改革していかないと、これからの日本の高齢化社会も、医療技術の高度化による認知症の早期発見も、無駄に終わり、財政破綻が加速する事でしょう。
厚労省に届いているのかなぁ。現場の専門職の思い。家族の思い。
地元から政務次官になられた山井和則議員にメール書いてみたらと、何人かの山井先生の知り合いの方から推薦されて、書いてみたんですが、貧困問題やら、なんやらで、忙しいのか、私など下層の話は秘書の下のほーで止められているのか、何の音沙汰もありません。
やっぱり、当事者の苦境から出る話なんて、理性的じゃないし、非論理的だしって思われてるのだろうかとか、当事者ってだけでは誰も耳をかさないのかなと、無力を感じます。
有職者とか、研究者とか、専門職とかが、本人や家族よりも発言権があるのかなぁ。
なんだか嫌な世の中ですね。
当事者を無視して、専門家を名乗る人たちで制度が作られるのは。
だから、レスパイト的介護保険の利用がすべて却下なんですよね。
倒れて誰も面倒を見れない事態になってるなら、ヘルパー使っていいですよとか。
ありえないですね。
介護できる人が存在しても、その人のワークライフバランスを維持しながら介護ができるように、制度利用させるぐらいのふところの深さがないと、介護ストレスによるウツや、介護心中などが絶える事はないんじゃないでしょうか。

0 件のコメント: