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2010年3月6日土曜日

2010/1/18 立派な人間ではありません

いつも思うんですけど、私は一般人並の能力がないと思います。
心身共にグレード低いです。
元ひきこもりで、未だにひきこもり傾向が強いし、特に冬場は冬眠モードです。
小さい時から、たとえば今で言えば、児童虐待っていうものや、いじめに値するもの、内臓疾患による長期入院や、母が宗教にだまされて連れて行かれる事多数、慢性疾患の担当医からの言葉かけのミスで心に傷を負ったまま、育ててくれた祖母の死と母のイカレタ行動、神戸の震災の恐怖、殺されかけた記憶、様々なものが10歳頃から主に20歳頃までに蓄積して、そこから先は父との二人暮らしの中で、父がどんどん発症していき、会話が成立しなくなってしまうという状況が過ぎて今の私があります。
その中で、たくさんのストレス原や、トラウマが私の中に残り、介護ストレスで(介護ストレスと呼びたくないんですけど、介護と思ってないので、家族にとて介護ではなく、家族として一緒に暮らす為の日常行為ですから)もともとの心の常態が悪化するのは当たり前です。
だから、私は今すごく調子が悪いです。心の健康がヤバイです。
でも、みなさん何らかのストレス原やトラウマを持ちながら、暮らしていらっしゃるのと同じように、私も自分なりに生きています。
暮らしは絶対日常として発生する出来事で、生きているからには暮らさねばなりません。
時々よく頑張っているとか、立派だとか、忙しいでしょうとか言われると、頭の中でそれらを全否定です。苦笑
もし健康なら、こんなにひきこもってはいないし、もっと能動的に何事にも取り組んでいただろうと思います。
第一、日本にいなかっただろうと思います。
でも、健康な自分らしく能動的に生きてる私だとしたら、実家にはいないし、父が発症しても気づかないままだったでしょう。認知症になった父の姉にも気づいてあげられなかったでしょう。
父の姉のように、父も父の兄にしきられて、診断の為に内科の検査で入院とだまされて入院し、診断を受けて老人ホームだっただろうと思います。そして、私が時々帰国したら、父は毎回どんどん記憶が悪くなり、歩けずこけて、入院し、水頭症の話が出て手術はどうしますかとなっても、父の兄が、父の姉にしたように、頭の手術なんてとんでもないという判断で父の兄によって、手術が見送られ、寝たきりになり、帰国したら私の事が区別の付かない常態になっていただろうと、思えてなりません。
適切なタイミングで、日本の医療と介護の制度の限界の中で、本人に一番適切な事をし、そばで進行を把握する人間がいないと、本人らしい時間は加速度的に少なくなってしまっただろうと思います。
私のそばには、二人の認知症患者がいます。だからこそ、その違いに対して、よく比較して考え、何が本人の望む暮らしか、家族の望む暮らしか、何をどう選ぶのがいいのか、裏と表のように違いがあった二つの事例を元にして考えています。
父は私が実家を出てしまっていたら、私は出て、戻りましたけど、出たままだったら、どうなっただろうか、父の姉のように独居でどのように進行しただろうか。同じ認知症だけど、症状も当初の頃がとっても似てるけど、分岐点は何か、どういう違いで、どうなったのか。
医学的に言うと違う認知症の種類かもしれませんけど、父の姉にも父と同じだけの環境と、配慮する人間がいれば違ったんじゃないのかという思いが常にあります。
そうしてあげられなかった、無力感。
自分の慢性疾患さえなければ一人も二人も一緒だし引き取ったのにという思いと、とてもかわいがってくれていた独居の叔母の事を十分に対応してあげられなかった悔しさでいっぱいです。
それがあるから、今いろんなケースに対して、他人事ではなく、考えていけるのかもしれません。
家族の立場でも考えますし、家族の立場の方がよくおちいる介護ストレスや、それによっておこる記憶障害、集中力の低下で自分も認知症になったんじゃないかという不安も、体験しています。家族性で遺伝するんじゃないのかという点でも診察を受け検査もしました。精神科の医師や専門医によって、その見解はそれぞれ違いました。いいかげんなものだなと、感じました。
そういう家族の思いもわかりますし、発症したかもしれないと思う人の心理や、発症した本人の視点での考えなども思いいたる事ができます。
ただ、それだけであって、何かが秀でているとかで、立派というわけではありません。
社会の根底の、役立たずの分類に入る人間グループに属していると自分では思っています。

でも、役に立つ事があるならやろう、自分のように後悔してほしくないから、そういう事になりそうな人を、自分の経験をいかして支援しよう。
そんな思いで、関係者ですら、人があまりしない事をしているにすぎません。

さて、今日は、朝から宇治市の高齢者向け事業についての、事業計画の見直しなどをする委員になったので、その会議に行ってきました。
会場がやたら寒くて、外で立っているのより寒いかもというぐらい、じっとしていると冷えてきて、どうしようかと思う常態でした。エコかなんかわかりませんけど、全館これなら役所の職員さんも大変だなぁと。
計画を見て思った事は多々あります。
あえて言いませんが、お役所ってこうなっているんだ。
行政というものの仕組みがわかりました。
私が医療や介護、事業所計画に不足を感じる部分について、だからか、と仕組みにおける納得はいくのですが、残念な事ばかりです。
所詮市民委員の一人にすぎず、有識者でもなんでもないので、発言も弱いですし、市民委員の中でも一番若いので、本来、そうなんだーという感想を言ってるような立場なのだろうなと思いながら、あえて何点か発言してきました。

午後から、京都文教大学さんの精神保健福祉士科目の担当教授に会いました。
ゼミの学生さんを四月以後にボランティア的に、認知症友の会の活動に参加させて下さるとの事で、彼らの経験を増やすと共に、私達の人で不足を解消する計画です。
コストもかからないので非常に楽しみです。
一年ちょっと活動を続けて、やっと他人が評価し、関わってもらえるところまできたのだなぁと思いました。
助成金をいくつか申請しているので、一年経過した団体として申し込めるようになったのも大きな変化ですから、これも通っていくようになれば、運営も楽になりますし、事業の幅も出ます。当事者のみが手作りで運営するような会から、専門職の支援者を有償ボランティアで来てもらう予算もでるし、進行して交流会での時間を過ごすのには専門職の力がいるケースに対しても、対応ができるようになります。
助成金ベースの運営はあぶなっかしいので、あまり健全ではないですけど、今はそれで良いと思います。
そのうちスポンサーがついて、いろんな事業を支援してくれたら、それで良いと思います。
当事者からカネをとって支援するのは嫌です。
外国のように、障害者団体の活動が寄付で運営されているような形になればいいのにと思います。

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