フェイスブックでの代表の日々の投稿

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2009年9月30日水曜日

2009年9月5日 予定を忘れる(汗)

この週はとっても精神的に忙しかったんですよ。。。
自分の日赤受診、父の日赤受診もあったし。。。気ぜわしかった。。。

よく忘れますよ。。。

私は認知症友の会の代表として、ピアヘルパーの資格をいかして、ピアカウンセリングの方法で皆さんの相談をお受けしています。

その中で、(介護)ストレスによる、記憶力の低下、集中力の低下、計画的な事ができないなどの症状をお聞きする事があります。極度になってくると、家事ができなくなります。家族と接するのが苦痛になります。

私も心の調子が悪いとそうなります。あなただけじゃないですよ。と、いつもお伝えします。

皆さんたいていは、ご家族の認知症を見ているので、自分も同じ認知症になってしまった(うつったという意味ではなく)のかなと、自分の認知症を疑われます。

でも、私はいつも言います。違うんですよ。きっとストレスが日常的に蓄積されて、心が疲れてるんですよ。そりゃものも忘れるし、集中力もないし、計画性もおちるし、家事もできなくなりますし、家族と上手に接する事や、当たり前のことができなくもなりますよね、、、と。

たとえば、私の場合、10歳の頃のトラウマ今でいうPTSDが一つあります。首を絞められた記憶です。
それはたいした事がないと思っていましたが、いろいろなストレスが暮らしの中にあると、少しずつ相互作用してきました。
家族の認知症とつきあって、上手につきあえない自分に腹を立てたり、健康な時代の父の思考と違う言動にストレスを受けるなどが、日常に続く事で、自分の中の過去のストレス原がよみがえりました。

恐怖感、そして、不安感に襲われるのです。
少しその傾向はあったのですが、マフラーができないとか。苦笑
ある時からベルトもできなくなり、ネックレスができなくなりました。
冠婚葬祭でネックレスをつける機会があり、その後発作がおきたのでトイレで外しました。
そんなのもたいした事はないと思っていましたが、この数年の体重減少、これも一つのストレスによる体調変化で、その中で、この春からは、このところ激痩せしたというのに、パンストがはけなくなりました。しめるものだからでしょう。
この夏はブラができない日がありました。

他にも昔のトラウマやストレスが、日常のストレスに刺激されて表に出てきています。

記憶力にはもちろん自信もないし、集中力もあまりないです。
手帳が命です。苦笑
9/5に午後から息子を遊びに連れていく予定でした。それは前から決めていたので、しっかり覚えていましたが、午前に予定を急に入れたのを忘れてしまって、ごぜんの予定は行けませんでした。
ものも、よくどこにおいたか忘れます。
父に言わせれば、「おれとかわらん」そうです。苦笑

まぁ、かなーりひどい時だと、確かに「おれとかわらん」ぐらい忘れる事もありますね。
そんな私ですが、色々認知症に関する専門医に診てもらっても何もでません。
うつだとか、介護うつだとかいう話にはなりますが。
何軒か行きました。
私の場合、先にあげた例のほかにも、トラウマをいくつかもっていますし、内臓疾患もあります。
色々と複合的なので、精神科の先生はかなりお手上げみたいです。
将来父のようになる可能性は否定できないから、定期的に検査しておいたらと言われました。

認知症というものは、まだまだ発症のメカニズムがガンが突然生まれるように不明です。発ガン性物質であるたばこをすいまくっても90まで呼吸器に問題なく生きた方もいらっしゃるように、認知症も個人個人に突然訪れるもので、訪れない方もいるわけです。マーカーで判るガンもありますが、認知症はそのような手だても、あくまで先祖に呆けた人がいたかというような話ぐらいでしかありません。
認知症になったら自尊心を保つのは難しい社会だなぁと、時々活動の中で実感します。そこを自分が認知症になった時のことを考えて変えていけばいいのではないかと思っています。これから認知症になる人の為に、予防やリハは確立されていないけれども、希望をもてるものを作りたいなぁ、残したいなぁと思っています。

介護うつ、意外とあるんですよ。
外からは見えません。
うちの中ですから。
認知症のご本人が外の世界の方と、上手に接する事ができていても、家庭内では大変な事になっています。
本人も病気で上手に思ったように生きられない自分にイライラしていますし、家族も健康な時と違う言動の本人に対して困っています。
その日々が続く事で、本人よりも、家族がまともな神経を削り取られて失っていく(ご本人以上に心が壊れていく)部分があるのではないでしょうか。

認知症のご家族をもつご家庭は、孤独である事が多いです。円満はなかなかないです。
認知症ではない人間の心が壊れていくケースは多いです。
子供達が見て見ぬふりをする、実際の大変さを知らない、気づこうとしない、知らせない場合もあります。
親戚にも、地域にも同じ事は言えます。
結果は本人も孤独だし、共に生きる家族も孤独です。
頼りにしてもいい人を、頼りにしたら迷惑がかかる、大変なのは自分だけでいいなど、様々な背負い込み型の思考をする方が介護うつになりやすいとも言えると思います。
また、制度利用を知らなかったり、知っていても、嫌がるからと端的に考えてしまって利用しない事もよくないのではないでしょうか?

私は活動の中で、同じ認知症の家族をもつ方と出会い、話をするなかで、自分の状況を分析し、皆さんの状況を分析し、それをもとに、新しい方法を模索しています。
そうする事で、少し私の認知症の人と暮らす現実の困難さがやわらぎます。
手助けは誰もしてくれません。それはそうだと思います。
でも、認知症の人と暮らす事で、大変なのは自分一人じゃないと知る事だけでも、ストレスはやわらぐと思います。

もし、認知症の人と暮らす中で、家事ができなくなっても、それはあなただけじゃないです。
認知症の人のそばに居て、忘れっぽくなっても、それはあなただけじゃないです。
認知症の人の言動に対して、うまく対話ができなくて、逆切れされても、あなたが切れても、それはあなただけじゃないです。
今は暴投に次ぐ暴投でキャッチボールしている対話も、あきらめずにお互い前向きに、病気と共に生きると考えるようになれば、キャッチボールもうまくなりますし、牽制球も、変化球も投げられるし、受け止められるようになります。
でも、時には暴投もありますし、奇跡のようなホームランの瞬間もあるかもしれません。

次の認知症についての日記では、奇跡のようなホームランの事を書きます。

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