フェイスブックでの代表の日々の投稿
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https://www.facebook.com/terumiyoshida2010年2月25日木曜日
2009/12/24 福寿園宇治工房さん
おーいお茶の福寿園さんには毎月一回以上行くようになりました。
この日は認知症の受診日で、いつもランチは宇治近郊で食べますので、なんとなく食べに行きました。
いつも通り、父は料理を写真に撮っています。
どうするつもりなのかなといつも思います。
記憶に残せないので、誰かと話す時に、写真を見せて思い出し話をする事があるようですが、その為だけに撮っているのか、よくわかりません。
けれど、他人に伝えたいと思う事はいいことです。出来事を伝えたり、出かけた事、食べた事を伝えようとするようになったのは、特に月曜の訪問看護の枠に作業療法士の若いおねーさんが来るようになってからです。
初めて行ったお店や、美味しかったところなど、さまざまなチラシを持ち帰って、そのおねーさんに見せているようです。
診断を受けた前後の三年ぐらいは、他人とそんな会話をする事も全くなく、ご飯以外自主的寝たきりだったりもしたので、記憶として頭から引き出して話す事が難しいけど、デジカメのモニターで写真を見せたり、持ち帰ったチラシを見せたりする事で、人に伝えようとするのは、リハとしても良いと思います。
ちなみに犬の写真は私の携帯カメラですが、写りが悪いのは、移動するものをとらえる機能が弱い携帯なので仕方ありません。。。
福寿園さんのご飯は、父のは「茶がゆ」、私のは「莵道御膳」、犬わらわら居るのは、いつも行くドッグカフェでラブラドールがいっぱいいたので撮ろうとしたのですが、動くので撮れませんでした。。。タイガースな服を着ている黒ラブは40㌔近い体重があって、骨格がごつくて大好きです。ここのお店の看板犬です。私はたいていなんでもデカイものが好きなので。苦笑
2009/12/20 認知症ホッとタイム♪
今日の交流会は、クリスマスシーズンという事で、告知させてもらっていた通り、クリスマス会にしました。
介護者さんの新規の方もお見えになり、ちゃんとクリスマスプレゼントもご持参いただきました。
ルールは1000円までの手作りやリサイクル、リユース、お歳暮の使い回しなどや、新規購入品などを一家族一点持ってくる事になっていました。
昼食会から、参加者のお孫ちゃんも参加していて、うちの息子もいたので、お子様プレゼントも自動的に2家庭が持ち寄っていました。
ビンゴゲームを果物名を思い出してながらやって、順位を決めて、プレゼントを交換しました。
自分のものを貰わないで、皆さんちゃんと人のものと交換ができて良かったです。
ビンゴをできる能力を来年も皆さんが持ってらっしゃると良いなぁと思いました。
介護者さんの新規の方もお見えになり、ちゃんとクリスマスプレゼントもご持参いただきました。
ルールは1000円までの手作りやリサイクル、リユース、お歳暮の使い回しなどや、新規購入品などを一家族一点持ってくる事になっていました。
昼食会から、参加者のお孫ちゃんも参加していて、うちの息子もいたので、お子様プレゼントも自動的に2家庭が持ち寄っていました。
ビンゴゲームを果物名を思い出してながらやって、順位を決めて、プレゼントを交換しました。
自分のものを貰わないで、皆さんちゃんと人のものと交換ができて良かったです。
ビンゴをできる能力を来年も皆さんが持ってらっしゃると良いなぁと思いました。
2009/12/13 第三回「暮らしの中の認知症講座」をやってみて。
今日の講座は、今回講座を企画した中でも、皆さんの関心が高かった、当事者達の思いの部分。
三回講座の構成としては、三回全体を通して、認知症になる前に予習しておくべき事をお伝えする事が目的で、発症しているご家族おられる方にとっても、自分の家族の常態の把握と、今後の暮らしをより認知症と共に暮らしやすくする為のヒントとなるものをという目的でつくってありました。
一回目が病識、認知症の種類、症状の違い、段階による変化、本人の認知症による感覚と、はたから見た認知症の人の生きる感覚、ドクターから見た当事者の世界観、そういった内容と、ご質問いただいてた近年早期発見と共に困難に直面する人を多くみかける若年認知症に関わるお話と、来られた方からの自分の知り合いのケースに対する対応のヒントについての質問などに専門医の先生からのお話をしていただきました。
感想を見ていると、皆さんイメージと実態についてのギャップをうめようとしていらっしゃるのがよくわかりました。知りたくて来たんだなぁと。
二回目は診断後の様々な制度利用で暮らしやすくする為には、どうすればいいのか、聞きかじった介護保険やケアマネなど、いったいどこで手続きを進めるのか、どういった制度があるのか、学んでいただいて、実際発症した方がまわりにいれば教えてあげたり、自分の家族がそうなった時には、おいつめられてからの制度利用ではなく、その前から使えるものは使って、患者本人も家族も暮らしやすくする為にお勉強していただきました。
この時は、精神保健福祉士さんがお話下さったのですが、同職の方のご関心も高く、福祉関係の方も結構いらしてました。
けれども、一番印象的なのは、第三回よりも第一回、第二回の方が、現在発症している家族の居る方、診断されている方のご家族の参加が多かった事や、第三回では私達当事者からの日常の話(認知症の方の実態)を聞きたいという方が多かった事です。
三回目では、私の方から、発症した時の本人や家族の心理状況、どういう立場におかれるのか、お話をしました。またその後は制度利用に結びつける為に、どんな工夫が必要か。そして、本人も認知症によって自分の人生がままならないストレスにさらされるけれど、家族も日々の暮らしに困難な事がたくさん発生し、健康だった頃の本人を知るがゆえのストレスが発生する事をお伝えしました。
本人のストレスはどのように解消し、認知症になっても、すぐに非常に悪くなって、なにもわからず死ぬのではなく、症状と共に穏やかに暮らす事もできるので、ぜひ本人の気持ちが孤立しない方法を早期に探す。
そして家族も孤立して思い悩んで、本人と暴言のキャッチボールをしないように、制度利用をする。
他人に入ってもらう事も大切であるとお伝えしました。
どこまで伝わったか、、、、プロではないし、理路整然とも言えてないので、心配です。
一番よくあるのは、夫婦間が暴言のキャッチボールをする事。
そしてその暴言は、認知症で言動が病気ゆえに変になっている場合と、本人が病気を自覚しているからこそ、精神的に不安定で出ている事とがあり、一人で自分は認知症だからもうダメだ、役に立たないと思う事が、家庭内の荒れる原因かもしれません。
家族は元気な頃の本人をイメージして、何で違う言動をするのかが理解できず、正論を本人に言いますが、本人は逆上してしまう。
そういうケースは多々あって、本人と介護者二人暮らしの家は大変です。
クッションがなく、暴投のキャッチボールをしあいます。
もし他人がそこに入ったら、他人はひどく驚くでしょうけど、夫婦間でぶつけあった暴投は相手にあたる前に、他人がワンクッションし、中つぎして、受け止めて投げつないでくれるから痛くなくなるかもしれません。
制度利用でワンクッションできるかもしれません。
当事者間でエスカレートする状況は、認知症の進行にも良いはずがありません。
介護者も患者自身も、それぞれが、自分の思いを伝えられる相手がいて、相手は直接何かをしてくれるのではないかもしれないけれど、他人に思いを伝える必要があります。
そこでストレスが少し減ります。
その他人とは、誰か。
介護保険を申請できていれば、ケアマネかもしれません。
デイに行っていれば、デイの相談員や担当職員かもしれません。
行くのは無理なら、精神科の看護士の訪問看護に来てもらって、本人が嫌だろうと、やってくる看護士がそのワンクッションな他人になるかもしれません。
来るのが嫌でも、毎週通ってこられると、なじみになって、来るのが当たり前になる時がきます。
その時には、嫌なそぶりでも、待ち遠しくなっているかもしれません。
他人が自分を見つめてくれる。かまってくれる事は、本人にとってはとても大切な事です。
専門医の先生も言っておられましたが、放置、無視が本人に届けられるべきケアを届かなくしていたり、進行によくなかったりします。
逆を言えば、本人がどんな態度でも、離れていかない存在がいる、特に実務はしなくても、自分の為に来てくれる、いつもの人がいると、本人には良い影響があると言えると思います。
それが家族で事足りればいいんですが、なかなか家族だから、過去の本人を知るからうまくつきあえない部分もあります。他人の方がいい事もあるのです。
他人に気にかけてもらえるというのは、本人にとっては、大きなプラスです。
認知症の診断で生きる価値を失ったような気持ちで不安定になっている時に、家族ではなく他人が、たとえそれが仕事であっても、自分に向き合って話しかけてくれる。
これはとても大切な事です。
診断を受けられたご家族は、あちこちで相談できて、制度利用なども勧めていく事ができますが、本人は誰に話すのでしょうか?
気持ちを抱え込んでいるのではないでしょうか?
思うようにならない記憶や人付き合いの問題の中で、引きこもりモードに入ったり、無気力になったり、不安定になったりするのは当たり前です。
誰にも必要とされてない、したい事もうまくこなせない役立たずと思ったりする本人が、家族の正論の言葉に対しても過剰に反応するのは仕方ありません。
やつあたりする相手すら、家族以外にはおらず、それだけ孤独なのです。
使える制度は使って、本人が嫌がってストレスをためる事もあるかもしれませんが、大きい視野で本人を見つめて、残存能力をいかして、家族と共にある暮らし、家族の見分けが付く期間の暮らしを、より快適に長くする為の工夫を、本人も家族も初期、早期の頃に取り組み、進行する前に段取りをしていく事が大切である。そう信じてお話をしました。
デイに行きたくないのは、老人ばかりいるところだから。
記憶やら段取りは老人並に悪いけど、自分が行くところじゃないと思うから。
家族も行かせたいところじゃないから。
じゃあなにをしに、なんの為に行くのか。
施設の職員さんの協力も得て、行く意味をもたせる。
悪くならない為に、職員さんと話をして、脳ミソ使ってきてとか、体がなまるから、職員さんのお手伝いをして動いてきて。
そういう事も家族が言うと、そんなんしないで家にいると答えるなら、医師やケアマネから勧めてもらったり、工夫する。
そういう段取りを色々家庭ごとのケースで考えて、残存能力を使って、能力をこれ以上失わない努力をしないといけません。
家で家族と本人がもんもんとしていると、ストレスが双方で増幅しあって、進行にも悪影響があります。
二人だけでそれぞれが孤独に考えていると、介護者のストレスが、あっというまに介護うつに達します。
そうならない為には、ぜひまわりの手をかりて、本人が行ってくれないなら、来てもらう。
本人の気持ちの受け皿を作る。
家族の気持ちの受け皿を作る。
皿に乗った思いはただ戻ってくるだけかもしれないけれど、自分の中からいったん取り出す事が大事。
ストレスは絶対発生する。
それは講座での、うちの会員家族さんのインタビューの時にも、それぞれストレスはあると答えられていたように、発生するけれども、それをどうにかつきあっていくしかない。
上手につきあうには、先手必勝、工夫をする。段取りをしておく事が大事。
そして本人にもストレスがあるんだという事を考慮する。
もちろんだからといって、介護者が我慢しなければならないわけではない。我慢比べが介護じゃないし、暮らしでもない。
あちこち、様々な相談できるところに話せる人はいるので、本人が話せる相手、家族が話せる相手を持つ。
介護ではなく暮らしているだけ。
上手に暮らす為に、家族は遠慮しないで、言い合える方が良い。
でも暴投合戦にはしないように、これからも一緒に暮らしていくんだから、工夫して変化球と、たとえ病気で暴言を吐いてても、居てもらわなきゃ困るんだという直球の態度で対応しましょう。
という思うで話てたんだけど、伝わったかなぁ。。。
うーん。みんな知りたい事は同じだと思う。
ケースは、違えど、同じ困難に直面する事が多い。
先人の智恵も必要だけど、古い観念で対応し続けないで、新しい制度と新しいケア感覚があると思うので、それをぜひ自分の家庭に当てはめて考えて、暮らしやすくする為に取り入れてほしい。
うちの会員さんの中には、介護保険前の介護を経験した後、今また認知症介護に取り組まれている方がいるけれど、そんな方でも今の制度が判らずに、なにもできずにおられた。うちの会に来られて、本人の納得や制度知識も増えられて、制度利用を一気に進められ、随分助かったと言っていただいた。
私もこれから、どんどん新しい情報を仕入れて、自分の父に対してだけでなく、様々なケースにとってのよりよい方法を模索し、孤独に思い悩む本人と家族が、勇気をもって私達の会に接触して下さった時に、少しでも役に立つ情報提供などができればと思っている。
私達の会に来られて、継続されず一度きりの当事者の方というのは、この一年をふりかえると介護者の方が心身においてご健康でないケースばかりだった。
どうしてらっしゃるのかとても心配だけど、娘息子世代が、いざとなったら、動いてくれている、多少は支えてくれているのだと信じたい。
お子さんがいないケースもあったけれど、そこには医療の接点があるようだった。でもその接点も弱まっておられる時に来られたので、以後どうされているのかとても心配なケースだ。
核家族、地域社会との隔絶、血縁との絶交など、様々な孤立が見受けられるが、専門医の先生も持つべきものは伴侶、家族、いざという時に話しがちゃんとできる関係をあらかじめ作っておかないといけないと言われていた。
病気になって必要なのは、孤独ではない環境なのだと痛感する。
制度の隙間に落ちてもがく認知症患者と家族も多い。
要介護度が上がって、寝たきりが長い患者より、要介護度が上がらず、介護保険負担の少ない常態が維持できるように専門的ケアが必要だと思う。進行を緩やかにするケアをする事こそ、社会経済の中の介護保険による財政負担における軽減方法の最たるものではないかと思う。。
制度の隙間を間違った方向でなくして、大きい鍋でごった煮するような介護保険や障害者施設の法律よりも、抜本点な制度改革がいるのになぁと思う今日この頃。
講座を来年もやるのかと思うと、自分の能力の低さに、不安になる。。。
頑張って、家族と本人のストレスに対処する方法を、いかに上手に伝えるか、秋までに考えなきゃね。
イマイチすぎて、来年誰も講座の三回目だけ聞きにこなかったらどーしよ。。。なんて思ったりもするけど。苦笑
認知症友の会の皆さん、本当にありがとうございました。
生のリアルタイムの当事者の声を聞きたいとお思いの、受講者さんに、貴重な声をお届けできたと思います。
皆さんの日々の思いを無駄にしないように、活動を頑張ります。
会場を貸して下さった共催の生涯学習センター様と、お手伝いして下さった職員さんにも感謝しています。ありがとうございました。
三回講座の構成としては、三回全体を通して、認知症になる前に予習しておくべき事をお伝えする事が目的で、発症しているご家族おられる方にとっても、自分の家族の常態の把握と、今後の暮らしをより認知症と共に暮らしやすくする為のヒントとなるものをという目的でつくってありました。
一回目が病識、認知症の種類、症状の違い、段階による変化、本人の認知症による感覚と、はたから見た認知症の人の生きる感覚、ドクターから見た当事者の世界観、そういった内容と、ご質問いただいてた近年早期発見と共に困難に直面する人を多くみかける若年認知症に関わるお話と、来られた方からの自分の知り合いのケースに対する対応のヒントについての質問などに専門医の先生からのお話をしていただきました。
感想を見ていると、皆さんイメージと実態についてのギャップをうめようとしていらっしゃるのがよくわかりました。知りたくて来たんだなぁと。
二回目は診断後の様々な制度利用で暮らしやすくする為には、どうすればいいのか、聞きかじった介護保険やケアマネなど、いったいどこで手続きを進めるのか、どういった制度があるのか、学んでいただいて、実際発症した方がまわりにいれば教えてあげたり、自分の家族がそうなった時には、おいつめられてからの制度利用ではなく、その前から使えるものは使って、患者本人も家族も暮らしやすくする為にお勉強していただきました。
この時は、精神保健福祉士さんがお話下さったのですが、同職の方のご関心も高く、福祉関係の方も結構いらしてました。
けれども、一番印象的なのは、第三回よりも第一回、第二回の方が、現在発症している家族の居る方、診断されている方のご家族の参加が多かった事や、第三回では私達当事者からの日常の話(認知症の方の実態)を聞きたいという方が多かった事です。
三回目では、私の方から、発症した時の本人や家族の心理状況、どういう立場におかれるのか、お話をしました。またその後は制度利用に結びつける為に、どんな工夫が必要か。そして、本人も認知症によって自分の人生がままならないストレスにさらされるけれど、家族も日々の暮らしに困難な事がたくさん発生し、健康だった頃の本人を知るがゆえのストレスが発生する事をお伝えしました。
本人のストレスはどのように解消し、認知症になっても、すぐに非常に悪くなって、なにもわからず死ぬのではなく、症状と共に穏やかに暮らす事もできるので、ぜひ本人の気持ちが孤立しない方法を早期に探す。
そして家族も孤立して思い悩んで、本人と暴言のキャッチボールをしないように、制度利用をする。
他人に入ってもらう事も大切であるとお伝えしました。
どこまで伝わったか、、、、プロではないし、理路整然とも言えてないので、心配です。
一番よくあるのは、夫婦間が暴言のキャッチボールをする事。
そしてその暴言は、認知症で言動が病気ゆえに変になっている場合と、本人が病気を自覚しているからこそ、精神的に不安定で出ている事とがあり、一人で自分は認知症だからもうダメだ、役に立たないと思う事が、家庭内の荒れる原因かもしれません。
家族は元気な頃の本人をイメージして、何で違う言動をするのかが理解できず、正論を本人に言いますが、本人は逆上してしまう。
そういうケースは多々あって、本人と介護者二人暮らしの家は大変です。
クッションがなく、暴投のキャッチボールをしあいます。
もし他人がそこに入ったら、他人はひどく驚くでしょうけど、夫婦間でぶつけあった暴投は相手にあたる前に、他人がワンクッションし、中つぎして、受け止めて投げつないでくれるから痛くなくなるかもしれません。
制度利用でワンクッションできるかもしれません。
当事者間でエスカレートする状況は、認知症の進行にも良いはずがありません。
介護者も患者自身も、それぞれが、自分の思いを伝えられる相手がいて、相手は直接何かをしてくれるのではないかもしれないけれど、他人に思いを伝える必要があります。
そこでストレスが少し減ります。
その他人とは、誰か。
介護保険を申請できていれば、ケアマネかもしれません。
デイに行っていれば、デイの相談員や担当職員かもしれません。
行くのは無理なら、精神科の看護士の訪問看護に来てもらって、本人が嫌だろうと、やってくる看護士がそのワンクッションな他人になるかもしれません。
来るのが嫌でも、毎週通ってこられると、なじみになって、来るのが当たり前になる時がきます。
その時には、嫌なそぶりでも、待ち遠しくなっているかもしれません。
他人が自分を見つめてくれる。かまってくれる事は、本人にとってはとても大切な事です。
専門医の先生も言っておられましたが、放置、無視が本人に届けられるべきケアを届かなくしていたり、進行によくなかったりします。
逆を言えば、本人がどんな態度でも、離れていかない存在がいる、特に実務はしなくても、自分の為に来てくれる、いつもの人がいると、本人には良い影響があると言えると思います。
それが家族で事足りればいいんですが、なかなか家族だから、過去の本人を知るからうまくつきあえない部分もあります。他人の方がいい事もあるのです。
他人に気にかけてもらえるというのは、本人にとっては、大きなプラスです。
認知症の診断で生きる価値を失ったような気持ちで不安定になっている時に、家族ではなく他人が、たとえそれが仕事であっても、自分に向き合って話しかけてくれる。
これはとても大切な事です。
診断を受けられたご家族は、あちこちで相談できて、制度利用なども勧めていく事ができますが、本人は誰に話すのでしょうか?
気持ちを抱え込んでいるのではないでしょうか?
思うようにならない記憶や人付き合いの問題の中で、引きこもりモードに入ったり、無気力になったり、不安定になったりするのは当たり前です。
誰にも必要とされてない、したい事もうまくこなせない役立たずと思ったりする本人が、家族の正論の言葉に対しても過剰に反応するのは仕方ありません。
やつあたりする相手すら、家族以外にはおらず、それだけ孤独なのです。
使える制度は使って、本人が嫌がってストレスをためる事もあるかもしれませんが、大きい視野で本人を見つめて、残存能力をいかして、家族と共にある暮らし、家族の見分けが付く期間の暮らしを、より快適に長くする為の工夫を、本人も家族も初期、早期の頃に取り組み、進行する前に段取りをしていく事が大切である。そう信じてお話をしました。
デイに行きたくないのは、老人ばかりいるところだから。
記憶やら段取りは老人並に悪いけど、自分が行くところじゃないと思うから。
家族も行かせたいところじゃないから。
じゃあなにをしに、なんの為に行くのか。
施設の職員さんの協力も得て、行く意味をもたせる。
悪くならない為に、職員さんと話をして、脳ミソ使ってきてとか、体がなまるから、職員さんのお手伝いをして動いてきて。
そういう事も家族が言うと、そんなんしないで家にいると答えるなら、医師やケアマネから勧めてもらったり、工夫する。
そういう段取りを色々家庭ごとのケースで考えて、残存能力を使って、能力をこれ以上失わない努力をしないといけません。
家で家族と本人がもんもんとしていると、ストレスが双方で増幅しあって、進行にも悪影響があります。
二人だけでそれぞれが孤独に考えていると、介護者のストレスが、あっというまに介護うつに達します。
そうならない為には、ぜひまわりの手をかりて、本人が行ってくれないなら、来てもらう。
本人の気持ちの受け皿を作る。
家族の気持ちの受け皿を作る。
皿に乗った思いはただ戻ってくるだけかもしれないけれど、自分の中からいったん取り出す事が大事。
ストレスは絶対発生する。
それは講座での、うちの会員家族さんのインタビューの時にも、それぞれストレスはあると答えられていたように、発生するけれども、それをどうにかつきあっていくしかない。
上手につきあうには、先手必勝、工夫をする。段取りをしておく事が大事。
そして本人にもストレスがあるんだという事を考慮する。
もちろんだからといって、介護者が我慢しなければならないわけではない。我慢比べが介護じゃないし、暮らしでもない。
あちこち、様々な相談できるところに話せる人はいるので、本人が話せる相手、家族が話せる相手を持つ。
介護ではなく暮らしているだけ。
上手に暮らす為に、家族は遠慮しないで、言い合える方が良い。
でも暴投合戦にはしないように、これからも一緒に暮らしていくんだから、工夫して変化球と、たとえ病気で暴言を吐いてても、居てもらわなきゃ困るんだという直球の態度で対応しましょう。
という思うで話てたんだけど、伝わったかなぁ。。。
うーん。みんな知りたい事は同じだと思う。
ケースは、違えど、同じ困難に直面する事が多い。
先人の智恵も必要だけど、古い観念で対応し続けないで、新しい制度と新しいケア感覚があると思うので、それをぜひ自分の家庭に当てはめて考えて、暮らしやすくする為に取り入れてほしい。
うちの会員さんの中には、介護保険前の介護を経験した後、今また認知症介護に取り組まれている方がいるけれど、そんな方でも今の制度が判らずに、なにもできずにおられた。うちの会に来られて、本人の納得や制度知識も増えられて、制度利用を一気に進められ、随分助かったと言っていただいた。
私もこれから、どんどん新しい情報を仕入れて、自分の父に対してだけでなく、様々なケースにとってのよりよい方法を模索し、孤独に思い悩む本人と家族が、勇気をもって私達の会に接触して下さった時に、少しでも役に立つ情報提供などができればと思っている。
私達の会に来られて、継続されず一度きりの当事者の方というのは、この一年をふりかえると介護者の方が心身においてご健康でないケースばかりだった。
どうしてらっしゃるのかとても心配だけど、娘息子世代が、いざとなったら、動いてくれている、多少は支えてくれているのだと信じたい。
お子さんがいないケースもあったけれど、そこには医療の接点があるようだった。でもその接点も弱まっておられる時に来られたので、以後どうされているのかとても心配なケースだ。
核家族、地域社会との隔絶、血縁との絶交など、様々な孤立が見受けられるが、専門医の先生も持つべきものは伴侶、家族、いざという時に話しがちゃんとできる関係をあらかじめ作っておかないといけないと言われていた。
病気になって必要なのは、孤独ではない環境なのだと痛感する。
制度の隙間に落ちてもがく認知症患者と家族も多い。
要介護度が上がって、寝たきりが長い患者より、要介護度が上がらず、介護保険負担の少ない常態が維持できるように専門的ケアが必要だと思う。進行を緩やかにするケアをする事こそ、社会経済の中の介護保険による財政負担における軽減方法の最たるものではないかと思う。。
制度の隙間を間違った方向でなくして、大きい鍋でごった煮するような介護保険や障害者施設の法律よりも、抜本点な制度改革がいるのになぁと思う今日この頃。
講座を来年もやるのかと思うと、自分の能力の低さに、不安になる。。。
頑張って、家族と本人のストレスに対処する方法を、いかに上手に伝えるか、秋までに考えなきゃね。
イマイチすぎて、来年誰も講座の三回目だけ聞きにこなかったらどーしよ。。。なんて思ったりもするけど。苦笑
認知症友の会の皆さん、本当にありがとうございました。
生のリアルタイムの当事者の声を聞きたいとお思いの、受講者さんに、貴重な声をお届けできたと思います。
皆さんの日々の思いを無駄にしないように、活動を頑張ります。
会場を貸して下さった共催の生涯学習センター様と、お手伝いして下さった職員さんにも感謝しています。ありがとうございました。
2010年2月24日水曜日
2009/12/06 一応出かけた
(写真は順不同なところもあるので、推測して眺めてください。ブログのアップローダーが旧式のしか動かなくなりました。不便です。。。)
今日は、大阪の認知症つながりさんが、講座を開かれるので、参加する!と言い出した父と、息子を連れて、午前の講座への参加と、午後の講演会を見学に立命館大学へでかけた。
前夜、めまい発作をおこした父の事を、一応伝えておきたかったが、当日及び前夜に連絡できる連絡先がわからなかったので、申し込みしていたけどドタキャンか。。。と思いながら、とりあえず行くと言っているので出かけよう、という事になって、立命館へ向かって車を出した。
途中、道を間違って案内したり、ちょっとナビで意見の相違があって、わざわざ遅いコースを通る事を求められた。きげんをそこねても仕方無いので、遅いルートで走った。
遅刻やなぁと、思いながら立命館についたけど、立命館は許可車両以外いれてくれない。
まぁそうだろうけど。
近隣コインパークも日曜とあって、行楽客で満車だった。
ちょっと離れたところからバスでも乗ろうかとも思ったが、元気な時ならそれでいいのだが、前夜の事もあるので、自家用車が心のよりどころかもという気がしてならなかった。何か発作をおこしても、車で休めるし。実際以前発作連発だった頃には、出かけ先についた瞬間から発作で車から降りられなかったので、車で休んでから降りた事がある。
で、近隣をぐるぐる回ったけど、うちが講演会に出るとかで、来てるわけでもないので、無理する事はないし、ぐるぐるしながら意見が合わないし、じゃあ天気もいいので、観光して帰ろうという事になった。一番近いのは北野天満宮。
とりあえず、いってみた。 まだ季節的には、秋の庭が楽しめるらしい。というわけで、庭料金も払った。
地元というか、家からは遠いけど、京都人的には、学問の神様といえば、ここなので、私のお受験やら、息子のお受験やら、正月に食べる大福梅買いにとか、色々と立ち寄った事があり、なじみはある。
でも、庭はその季節ごとにちがった 顔を見せるので、秋ってどんなだったかなーと思いながら入ってみた。
あ、そうそう、天満宮さんの庭の梅の木の梅でつけた梅干し一箱ゲットしました。大福梅はなかったので。
牛もたくさん居ました。
高低差があるルートで、父は昨日の今日だしー、と、谷を下って上るのはショートカットして飛ばしました。息子は行きたがってたけど。もう少し元気なら父だけショートカットで、息子と私は回って落ち合っても良いのだけど、どっかで倒れるかもしれないとうっすら漂わせているので、私が父のそばを離れる時は、息子を添付しておくようにしていたから、息子と私がセットで父から離れる事はありえなくて、息子には我慢してもらった。まぁよくある事だ。
庭の途中に、梅の林を眺めるお茶所があった。庭券があると、お茶とお菓子が頂ける。老松さんという京都の老舗京菓子店の出店で、ここでしか売っていない?お菓子があった。おうどんのゆず白味噌味っぽいのだったかなぁ、息子が食べたがって食べた。京都人的出汁な薄味で、他府県の方にはどうなのだろう。。。と思った。息子は、鳥団子が入っていたのがいたく気に入ったらしく、ええだしが出てると、喜んでいた。
ご飯どーすんのーんといいながらも、次は金閣寺。金閣寺は、私は入った事がない。
父も前しか通った事がないらしい。駐車場のトイレは立ち寄った事が何度もあるようだった。
息子は金閣寺に行けるーと喜んでいた。
毎年ホームステイの学生が、必ず訪れていた金閣寺だが、私達は彼らの写真で、どんな天気の時も、けっこうキレイに写るんだなという印象だった。苦笑
この日の金閣寺、ちょっと曇ってた。
参道に出店があった。チョコを売っていたお姉ーちゃんがカワイイので、父は試食に行った。どこの学生さんか訪ねると地方から同志社に来た学生さんだった。
来たからにはと、なにやらご本尊が拝める料金を払って入った。
そのときはなにの事やらわからなかったが、家族のうたげコスプレで金閣寺の庭で写真をとろうとしている幼児をつれた夫婦がいて、今時のブロガーって、非常識で、日本人として恥ずかしい。。。と後で内心思った。
金閣寺では、外人に写真を撮ってあげたり、なぜか、その外人とツーショットを撮れと父に言われて、撮ったり、何が嬉しいのか、ハイテンションで、歩くのが嫌いなくせに歩き回っていた。
私個人的には、金閣寺の境内の「とゆ?」の下の桃が気になった。
帰り道に左大文字を車から撮るといって、ゆっくり走れとか。。。
とりあえず、機嫌もまぁまぁで帰れて良かった。
前夜、めまい発作をおこした父の事を、一応伝えておきたかったが、当日及び前夜に連絡できる連絡先がわからなかったので、申し込みしていたけどドタキャンか。。。と思いながら、とりあえず行くと言っているので出かけよう、という事になって、立命館へ向かって車を出した。
途中、道を間違って案内したり、ちょっとナビで意見の相違があって、わざわざ遅いコースを通る事を求められた。きげんをそこねても仕方無いので、遅いルートで走った。
遅刻やなぁと、思いながら立命館についたけど、立命館は許可車両以外いれてくれない。
まぁそうだろうけど。
近隣コインパークも日曜とあって、行楽客で満車だった。
ちょっと離れたところからバスでも乗ろうかとも思ったが、元気な時ならそれでいいのだが、前夜の事もあるので、自家用車が心のよりどころかもという気がしてならなかった。何か発作をおこしても、車で休めるし。実際以前発作連発だった頃には、出かけ先についた瞬間から発作で車から降りられなかったので、車で休んでから降りた事がある。
で、近隣をぐるぐる回ったけど、うちが講演会に出るとかで、来てるわけでもないので、無理する事はないし、ぐるぐるしながら意見が合わないし、じゃあ天気もいいので、観光して帰ろうという事になった。一番近いのは北野天満宮。
とりあえず、いってみた。 まだ季節的には、秋の庭が楽しめるらしい。というわけで、庭料金も払った。
地元というか、家からは遠いけど、京都人的には、学問の神様といえば、ここなので、私のお受験やら、息子のお受験やら、正月に食べる大福梅買いにとか、色々と立ち寄った事があり、なじみはある。
でも、庭はその季節ごとにちがった 顔を見せるので、秋ってどんなだったかなーと思いながら入ってみた。
あ、そうそう、天満宮さんの庭の梅の木の梅でつけた梅干し一箱ゲットしました。大福梅はなかったので。
牛もたくさん居ました。
高低差があるルートで、父は昨日の今日だしー、と、谷を下って上るのはショートカットして飛ばしました。息子は行きたがってたけど。もう少し元気なら父だけショートカットで、息子と私は回って落ち合っても良いのだけど、どっかで倒れるかもしれないとうっすら漂わせているので、私が父のそばを離れる時は、息子を添付しておくようにしていたから、息子と私がセットで父から離れる事はありえなくて、息子には我慢してもらった。まぁよくある事だ。
庭の途中に、梅の林を眺めるお茶所があった。庭券があると、お茶とお菓子が頂ける。老松さんという京都の老舗京菓子店の出店で、ここでしか売っていない?お菓子があった。おうどんのゆず白味噌味っぽいのだったかなぁ、息子が食べたがって食べた。京都人的出汁な薄味で、他府県の方にはどうなのだろう。。。と思った。息子は、鳥団子が入っていたのがいたく気に入ったらしく、ええだしが出てると、喜んでいた。
ご飯どーすんのーんといいながらも、次は金閣寺。金閣寺は、私は入った事がない。
父も前しか通った事がないらしい。駐車場のトイレは立ち寄った事が何度もあるようだった。
息子は金閣寺に行けるーと喜んでいた。
毎年ホームステイの学生が、必ず訪れていた金閣寺だが、私達は彼らの写真で、どんな天気の時も、けっこうキレイに写るんだなという印象だった。苦笑
この日の金閣寺、ちょっと曇ってた。
参道に出店があった。チョコを売っていたお姉ーちゃんがカワイイので、父は試食に行った。どこの学生さんか訪ねると地方から同志社に来た学生さんだった。
来たからにはと、なにやらご本尊が拝める料金を払って入った。
そのときはなにの事やらわからなかったが、家族のうたげコスプレで金閣寺の庭で写真をとろうとしている幼児をつれた夫婦がいて、今時のブロガーって、非常識で、日本人として恥ずかしい。。。と後で内心思った。
金閣寺では、外人に写真を撮ってあげたり、なぜか、その外人とツーショットを撮れと父に言われて、撮ったり、何が嬉しいのか、ハイテンションで、歩くのが嫌いなくせに歩き回っていた。
私個人的には、金閣寺の境内の「とゆ?」の下の桃が気になった。
帰り道に左大文字を車から撮るといって、ゆっくり走れとか。。。
とりあえず、機嫌もまぁまぁで帰れて良かった。
2010年2月18日木曜日
2009年12月05日 ものづくり好きらしい
作業療法のようなものだけども、息子も父も、なんちゃら体験が好きだ。
以前、ハロウィンかぼちゃを彫ったり、手作り石けんを作ったり、夏休みは万華鏡も作った。
いつもいく奈良のショッピングモールのイノブンさんは、週末イベントでよく何かを作らせてくれる。
もちろん参加費は入る。苦笑
この日は、朝から英会話教室、ランチはこのモールで、そして、年賀状づくり体験をやって、スイミングスクール。もちろんモールは奈良県。高速道路を走ってまで体験に行くのだから、ある意味凄い。
以前、ハロウィンかぼちゃを彫ったり、手作り石けんを作ったり、夏休みは万華鏡も作った。
いつもいく奈良のショッピングモールのイノブンさんは、週末イベントでよく何かを作らせてくれる。
もちろん参加費は入る。苦笑
この日は、朝から英会話教室、ランチはこのモールで、そして、年賀状づくり体験をやって、スイミングスクール。もちろんモールは奈良県。高速道路を走ってまで体験に行くのだから、ある意味凄い。
というわけで年賀状三枚。三人で体験やりました。
これ右のが息子のです。
上のが父のです。
下のが私のです。
父は最初白い紙を渡されて、スタンプの説明をされて、息子でも理解できる段取りが理解できず、そしてこの白いところにどのようにデザインを構成していくのかが考えられずにいました。
認知症の症状の一つが段取りができないという事です。
できる事もあるのですが、まさにこの時、その症状が強くでました。
そのきっかけは、一緒の机についていた、他の体験参加者の方と子供でした。
見ててイライラするんです。
声、やる事、言う事がイライラきたんです。
まぁ、私もその場に居ましたので、普通の人だったら、常識をもってすれば、耐える範囲の状況でしたし、息子もこの程度のイライラする行動がまわりにあっても、なんなんあのひとら?みたいに思う程度で、それほど気にはしません。
しかし、父にとっては、うるさい騒音で、自分のしたい事に対して、障害でしかなかったのです。
でも、まぁだからといって、どないもなりません。
わからへんっ!と言ってキレそうには、なっていましたが、まぁまぁ、ママのみたいにする?とかなんとかなだめすかして、やりすごし、そのうち騒音の元がおとなしくなるとペースをとり戻して、ようわからん、デザインできんとか言いながらも作りました。
練習用の紙もあったのですが、一発勝負というか、練習が頭になかったようで、一枚作成して、もう一枚でキレイに今のん見本に仕上げたら?と言っても、もうやる気ゼロでした。
ま、こういう日もありますね。
でも、まぁまぁよく出来てると思います。
ペーパーテープを貼ったのは父のアイデアですし、よく思いついたなと思います。
かわい~ね、やりたいーって息子と二人で思いました。
この後、スイミングから帰った息子と家で夜ご飯の後で、お皿を片付ける前にテレビを見て普通に談笑している時、父が目が回り出したと言って、回転して椅子から落ちて頭をうちました。
20時頃でした。
土曜で病院も休みだし、回転性のめまいを訴える時は、トラベルミンを飲ませて、メリスロンを通常投薬に追加するように渡されていたので、そのようにしました。熱も血圧も正常でした。
5分ほどですっきり停止して復活しました。
以前は一度なると1時間とか続いていましたが、今日は早いなと思いました。
明日は、立命館大学で、知り合いが来るので講演会と研修と両方見に行くと言っていたのですが、無理かもです。
でも、連絡先がこの時間はありません。個人的な携帯電話の登録もしてたはずが見あたらず、知り合いに電話もできませんでした。
あー、ドタキャンやぁと思いました。
自分達が出るものに関しては、すべてお休みなしで出てきましたけど、人の見に行く時は、時々行く前に調子がどーのとか、行って調子がどーのとかあります。
こまったものです。
この後、スイミングから帰った息子と家で夜ご飯の後で、お皿を片付ける前にテレビを見て普通に談笑している時、父が目が回り出したと言って、回転して椅子から落ちて頭をうちました。
20時頃でした。
土曜で病院も休みだし、回転性のめまいを訴える時は、トラベルミンを飲ませて、メリスロンを通常投薬に追加するように渡されていたので、そのようにしました。熱も血圧も正常でした。
5分ほどですっきり停止して復活しました。
以前は一度なると1時間とか続いていましたが、今日は早いなと思いました。
明日は、立命館大学で、知り合いが来るので講演会と研修と両方見に行くと言っていたのですが、無理かもです。
でも、連絡先がこの時間はありません。個人的な携帯電話の登録もしてたはずが見あたらず、知り合いに電話もできませんでした。
あー、ドタキャンやぁと思いました。
自分達が出るものに関しては、すべてお休みなしで出てきましたけど、人の見に行く時は、時々行く前に調子がどーのとか、行って調子がどーのとかあります。
こまったものです。
2009年12月3日 ある日のスケジュール2
朝訪問看護が来る
精神科主治医のところへつれて行く。
診察待ち時間にランチに行く。(写真はランチの後のデザート。もちろんハンブンコしました)
診察に戻る。
父を新型予防接種につれて行く。
息子のお迎えに行く。
息子を歯医者につれて行く。
また一日が医療関係ばかりで終わった。
しかも私のじゃない。。。
一番体調が悪い気がするんだけど。。。
誰も気にしてないような。
誰も私を手伝ったり助けてくれたり気遣ったりしてないような気もする。
まあ、物質的には、洗濯物たたんで皿洗ってくれてるか。
精神科主治医のところへつれて行く。
診察待ち時間にランチに行く。(写真はランチの後のデザート。もちろんハンブンコしました)
診察に戻る。
父を新型予防接種につれて行く。
息子のお迎えに行く。
息子を歯医者につれて行く。
また一日が医療関係ばかりで終わった。
しかも私のじゃない。。。
一番体調が悪い気がするんだけど。。。
誰も気にしてないような。
誰も私を手伝ったり助けてくれたり気遣ったりしてないような気もする。
まあ、物質的には、洗濯物たたんで皿洗ってくれてるか。
2009年12月2日宇治市の介護者リフレッシュ事業
体験談発表というか、宇治市民の介護者が入れる、家族会があるからねーと知ってもらうようなお話と、ランチ会って感じかな。話を聞いてから、私達が参加者の開いてる席について、会話をする感じ。
けど今回は、びみょーなリクエストで、「認知症友の会」の代表として話すのと、経験と会の話を、えーと、それと「宇治市介護者の会」の正会員として介護体験を話して、多少勧誘するのが使命だった。そこで、夏にも参加している人がいるとの事だったので、二つの団体分の話をするのはややこしいしーと、うちの会から一人、うちの会に参加してよかったーと言える人を連れていく事にした。
対談形式で、私が会に来てどうだったかとか聞く事で応えて頂く事にした。
私なんかより上手に話して下さってたすかった。
写真は会場の宇治市の中心部、宇治橋のたもとにある料理屋さんの宴会場からのビュー。
私いつも思うんだけど、介護体験語って下さいって言われても、確かに発症してからは長いけど、進行が緩いし、みんな身体介護のレベルに達している介護度3以上だったかな?の方ばっかりが来ているのに、あたしなんかが話す事なんてしれてるやんって気が。。。
会を作ってピアヘルプ、ピアカウンセリングの手法で交流と相談をやってるって言うしかないんだけど。
相談なんてね、専門職のが聞くの上手なはずだし、制度ももっと知ってるだろうし、適切なアドバイスができてあたりまえでしょ。
でも、そこに行く気持ちになれない、ならない、そこはどこ、どうやってなにからやるのって思いの人が、私のところに来る。
その時、私も最初そのようにわからなかったっていう経験から、話をしたり案内もする。
もちろん専門職じゃないから的確かどうかはわからない。適格かどうかもわからない。
言えるのは、経験からと、自分で調べた事、出会った人から学んだ事。
ピアカウンセリングの資格取得では、自分に経験のない事でも相談にのる技術を学んだ。
とはいえ十分ではない。
経験がない事であっても、相手に寄り添い、相手の立場でものを考え、相手の持つ材料を引き出して、相手に自ら考えを整理する機会を提供したり、選択できるように思考のコーチングをするようなものだなぁと、資格の勉強をしに大学に通って、ロールプレイなどをしていた時に思った。
その感覚を大切にして対応しているけど、やっぱりカウンセリングや相談の国家資格があるわけではないので、ピアカウンセラーという民間資格、学会資格程度では、自分のやっている事の善し悪しがゆらぐ。
また感情移入しすぎて、あたしならこうするのに、とか思って発言してしまう事も気をつけないといけない。でも、吉田さんならどうする?と聞かれると答えちゃうのだ。苦笑
もっと精進せねばと思う。
この日は、ランチの後、父をデイに迎えに行って、息子を迎えに行って、息子を予防接種に連れて行って、夕食を食べて帰った。また昼夜外食だ。腎臓に悪い。
この日は、ランチの後、父をデイに迎えに行って、息子を迎えに行って、息子を予防接種に連れて行って、夕食を食べて帰った。また昼夜外食だ。腎臓に悪い。
2009年12月01日 外食デー
いつものお店がリフォームに入るので休業前に行きました。
父はデイサービスです。このデザートおいしかったよぉ。甘いもの嫌いな私が言うのだから間違いない。
フレンチトーストのアレンジ版なんだけど、あつあつのフレンチトーストにバニラアイス、目の前で煮たとこのストロベリーのソースだったかな。
ここに来ると、私も息子も結構食べます。
かなーり食べれない時も、食べられます。
とはいえ、息子とハンブンコで足りる事も多々。苦笑
この時は食べたと思うー。
午後からは、デイサービスに使えるのではないかという民家を不動産屋さんと見に行きました。
でも、後日の結論としては、役所がダメだった。ほんとにいやになる。
認可がとれない。ひどすぎる。
ビジネスでもうけの為にやろうとしてるわけでもないし、素人かもしれないけど、基準以上のプロそろえてやるってのに。
施設基準もクリアーしてるのに、解釈がどーのって、ごねて京都では、宇治では、城陽では、京都南部ではダメって話。
ほんとうにいやになる。なんでなの。
お役所仕事の本音と建て前がすごく嫌。
デイ作る為に、基準とか調べて、融資もどうやってとるか事業計画の収支を作ったり、作り方わからんから講座行ったり、いろんなセミナーで起業勉強したり。自分の知らない事を知る努力をしてきた。
基準も調べた上で動いたのに、基準に書かれている事以上を求められた。
本当に嫌になる。なんなのって思った。
夕方デイサービスから帰ってきた父を連れて買い物に出かけた。
地元のスーパーは、狭くて耐えられない。ちょっと離れたスーパーでも、天井が低い。雰囲気が悪いそうだ。
なので、奈良県のモール型のスーパーに高速道路を使って月に何度か買い物に行く。週末のETC割引とか大歓迎だ。
ここもクリスマスツリーが出る時期なんだねと、息子が喜んで写真を撮ってくれと言うので、撮ったのだけど、ピサの斜塔のようにツリーを支えてる写真を撮ってほしいと言われて、二年生のくせになんていうリクエストだ、と思いつつ調整してとった、すると目線が通行人に向いていて、台無しだったけど、これでいいか聞くといいと言うのでヨシとした。でも、あまりにも視線が違って支えて見えないので、掲載はやめておいた。苦笑
きっと、後日父のパソコンを起動してこのブログを見て、えーっと言うのだろう。
2009年11月29日もちつき
なんだか父がハッスルしている。
まさかとおもいきや、杵を手に。。。。
この日記の記載をしているのは、正月を過ぎているので、年賀状を受け取った方はご存じのあの写真です。
もーなにやってるんだか。。。
腰の骨がつぶれてるんじゃないんですか?
膝の変形はどうしたんですか?
認知症だから、懐かしい思い出の方が強くて、現実が飛ぶんでしょうか。都合良く。。。
いつもはあちこち痛いと言って動かないのに、何ですかこれは。。。
70歳だという事も忘れたんでしょうか。もうすぐ71歳なのに。。。
息子と一緒に、あきれて驚いて眺めてたら、写真撮れって。。。
もーっ。
この子達は、人間でいうと、中年から高齢ぐらいのとっても賢いレト達で、息子のお気に入り。
でも、息子にはラブ二匹の見分けがつかないらしい。
名前を呼んで確認してました。
そんなに似てるかなぁ。色も前々違うのに。
この日は小さい子が来ていたので、息子は小さい子の面倒をみるのが大好きで、もちろん犬も大好きですべての犬を写真におさめていましたが、やっぱり小さい子と遊びまくってました。
兄弟がほしかったようなので、小さい子の面倒をみるとか、子守をするのは大好きなようです。ちゃんとけがをしたりしないように、気をつけて面倒をみていました。
帰り道にご飯を食べて、あーそうだロームさんのイルミネーション今日ぐらいからやんかーって、寄り道決定しといて、たどりついた時には、息子爆睡。車の中から写真を撮って、後で見せようかなーと思いつつ、ゆったらまた泣くだろうなーと、「起こさなかった」「自分達だけ見てずるい」とかって。で結局見せなかった気がする。苦笑
でも後日またリベンジしたしー。
その時は、ちゃんと起きてました。
2009年11月28日入試
私は勉強は好きじゃないし、めんどくさいです。
でも、したくなったらするし、した方がいいならするし、段取りに必要ならする。
そんなもんです。
本当にしたい勉強は、違う分野だったけど、今はこの分野が一番有効だと思うから、先にこの分野を勉強したい、そう思って、進学を決めました。
入試は何年ぶりかな。
前の大学は試験なしだったし。
今回は、応援してくれる人がいて、推薦してもらえたから、頑張らなくちゃとも思う。
自分の能力で、どれほど勉強についていけるかはわからない。
正直いって、認知症介護者の多くがおちいる介護うつだって、余裕でなっている。うつテストはほぼ満点だし。ストレス性の記憶力と集中力の低下も認められている。それが影響して、元々のPTSDも強くなっている。
それでも、こないだの大学を卒業するのだって、自分の決めたレールを自分で走ったし、今度もそうするしかない。
きっと、少しの理解者がいるから、なんとかなる。
実際の手は借りないで、また頑張ってこないだみたいに持病悪化させて体壊しつつでもクリアしてみせるんだろうと思う。自分はそういう人間だし。
追い込まれないと動かないし。自分の為には動けない。他人の為だから頑張ろうと思う。他人の為に頑張ると、自分達にも良い事影響があると今までの経験から得たから、頑張れると思う。
入試って、不思議ですね。
会場に行くと、高校生がたくさん居ました。
いろんな思いをむねにいだいて。
私は浮いてしまうのかと思ったら、うくのではなく、なんだか整理のスタッフに教職員と勘違いされ。。。。確かにそういう年齢か。苦笑
入試の校舎にエレベーターがあって、ほっとした。
某短大に行っていた時、エレベーターが使えるのは先生の棟に行く時だけだったので、教室移動で上階に上がると、ものすごく疲れた。。。
試験内容は、もうエーッ!!って感じばかりだったのだが、なんだかうまく整理して話せなかった。あまりにもエーッ!って思ったのが原因か。。。
だって、試験管が。。。
帰りにその話を推薦状書いてくれた人に電話で報告。
もう、ダメだったらごめんなさいって。
でも、ダメだったら、縁がなかったんやなっていう思いが強かったので、なにせ内容が内容だったので。。。落ち込むような気分ではなかった。
私の学びたい事が学べるのか、学校側に疑問が。。。
(ちなみに甘いものは苦手。爆)
でも、したくなったらするし、した方がいいならするし、段取りに必要ならする。
そんなもんです。
本当にしたい勉強は、違う分野だったけど、今はこの分野が一番有効だと思うから、先にこの分野を勉強したい、そう思って、進学を決めました。
入試は何年ぶりかな。
前の大学は試験なしだったし。
今回は、応援してくれる人がいて、推薦してもらえたから、頑張らなくちゃとも思う。
自分の能力で、どれほど勉強についていけるかはわからない。
正直いって、認知症介護者の多くがおちいる介護うつだって、余裕でなっている。うつテストはほぼ満点だし。ストレス性の記憶力と集中力の低下も認められている。それが影響して、元々のPTSDも強くなっている。
それでも、こないだの大学を卒業するのだって、自分の決めたレールを自分で走ったし、今度もそうするしかない。
きっと、少しの理解者がいるから、なんとかなる。
実際の手は借りないで、また頑張ってこないだみたいに持病悪化させて体壊しつつでもクリアしてみせるんだろうと思う。自分はそういう人間だし。
追い込まれないと動かないし。自分の為には動けない。他人の為だから頑張ろうと思う。他人の為に頑張ると、自分達にも良い事影響があると今までの経験から得たから、頑張れると思う。
入試って、不思議ですね。
会場に行くと、高校生がたくさん居ました。
いろんな思いをむねにいだいて。
私は浮いてしまうのかと思ったら、うくのではなく、なんだか整理のスタッフに教職員と勘違いされ。。。。確かにそういう年齢か。苦笑
入試の校舎にエレベーターがあって、ほっとした。
某短大に行っていた時、エレベーターが使えるのは先生の棟に行く時だけだったので、教室移動で上階に上がると、ものすごく疲れた。。。
試験内容は、もうエーッ!!って感じばかりだったのだが、なんだかうまく整理して話せなかった。あまりにもエーッ!って思ったのが原因か。。。
だって、試験管が。。。
帰りにその話を推薦状書いてくれた人に電話で報告。
もう、ダメだったらごめんなさいって。
でも、ダメだったら、縁がなかったんやなっていう思いが強かったので、なにせ内容が内容だったので。。。落ち込むような気分ではなかった。
私の学びたい事が学べるのか、学校側に疑問が。。。
とにかく、受かったのだから、なんとかなるのかもしれない。。。
この入試日は一人でランチ。
最近また食が細いので、ランチコースが食べきれるかが問題。
好きなランチも食べられないのだから、かなりダメダメモード。
ま、デザートは頑張った!(ちなみに甘いものは苦手。爆)
2009年11月22日伊勢までドライブ
写真撮ってくれと言われた紅葉。
長距離ドライブはなかなか大変。
トイレ休憩がSAごとにある。
息子はSAが大好きで、SAごとの違いや公園ゾーンの形などを堪能したがるし、食べもしないのに、レストランメニューやお土産が気になるから、したくもないのに父に合わせてトイレと言う。
父は頻尿と頻便でトイレに行きたがる。
父はやたら下着を着込んでいるのに、上からベストやジャンパーを着込んで乗るので、ベストまで脱がす事に成功したとしても、トレーナーの下のチョッキ型下着やその下の保温ジジシャツなどでかなり暑い。なのに末梢神経が冷えを感じるらしく、手足先が寒いと言って暖房をいれるので、蒸れて気持ち悪くなる。そして窓を開けたり閉めたり。こっちは普通の服装で暖房いれてるのが適温なのに、開け閉めで寒いし、蒸れてイライラする本人、蒸れて気分悪そうにする本人を見ていると、だから蒸れてしんどいねんって話になる。
これまた認知症の人がやる症状だとわかっちゃいるけど、言うことは聞かないし、暑いからふうふう言うし、ぷしゅーって認知症の人のよくやる呼吸動作をする。ひどいときには、イレバの中から出てきた食べかすをプシューどころかぺっぺっと正面のフロントガラスにとばしている。無意識に非常識行為をしているのだが、指摘しても、息してるだけやと言われる。
父はキレイ好きだったし、マナーにもうるさい、他人にどう思われるか考えて、育ちの悪いような事はするなと言われて育ったので、その父が認知症のせいで、非常識行為をすると、本当に憤りを感じるし、腹もたつし、やめてほしいし、イライラするし、病気のせいでも毎日のやなことなのでとうとう本当にストレス原になってしまって、どうにも受け入れもなにもできやしない自分に腹がたったりもする。
ストレスをためないようにするには、回避策をうつしかない。もちろんいちいちやめてくれと言われる事で、父もストレスがかかるが、かかったストレスも父は私よりも忘れる能力にたけている。忘れる能力の高い人が忘れてくれるならそれもいい。忘れずに覚えていて、いつも言われるとかって話もするだろうけど、まぁ発生した車の中のその場は数分後には違う話をしたりして、忘れているので収まるから良い。病気に我慢するのは、一方的にまわりの者である必要はないと思う。
認知症の本人に怒った事がないと言う介護者がいた。
ドラえもんのデキスギ君かと思った。
家族って、病気があろうがなかろうが、正面きってぶつかり合える間がらである事こそが家族な気がする。
体や心の病気についても、自分の思いについても、隠し合う事が家族だろうか?
家族の暮らしの中で、何かが原因になっているとしたら、どっちかが相手に黙ってカバーして暮らし続けるのは至難の業だと思う。どこかでばれる。疲れる。つぶれるかもしれない。
悲しい、楽しい、おもしろい、おいしい。そういった感情は、この病気によって、本人から将来奪われていくものではある。でも気持ちを隠しあう、伝え合わないで、本人がうつうつ思い悩んでいく、家族が本人の世界観を守って、健康な時と違う事をしても、一般的でない事をしても、黙って耐える、仕方ないと受け入れるなどで本当に心にわいた気持ちの多くを隠して接するとしたら、感情の伝達能力は病気の進行だけでなく、環境的問題、家族間の気持ちの交流が正しくなされていない事で能力を使わずに低下させているとは考えられないだろうか。
なにもがみがみときつく言う事ではなく、通じる程度に言うのだけど、本人にとっては言われて騒音になる事もある。何せ本人の世界観の中では丸く収まっている事を、家族は間違っていると言うのだから。本人の記憶以外の認識力が高い方は、認知症の方の中でも、初期や若年などに結構いらっしゃると思う。そういった方は、騒音ととらえる時期もあるが、言われているのは、自分が非常識な事をしたからだと、なんとなく認識できて、また自分が何か非常識な事をしたのだとわかって、その行為をその時だけやめる事が可能だったりする。そのうち指摘される事が自分の行いのおかしくなっている部分だと気づけて、おかしい事をしていると言われると、おかしくないようにしようとする。
うちの父は心身の調子次第で、そういう事ができる。
できない時はできない。逆切れする。
知り合いのみんなには逆ギレするなんて想像ができないかもしれない。
それを知るのは、私と息子だけかもしれない。
息子はおじいちゃんの病気ゆえの言動を理解している。
理解していても、泣かされてママーと来る事もある。
私が逆切れされて、ストレスを感じている時、唯一の理解者の息子は、またかという顔をする。それをみて、ああ理解している人がいると思う事でちょっと救われる自分がいる。
だから、私は、ストレスに感じる言動をされた時、息子にこんなことされたと伝える。聞いた息子がまたかと思うと、私はちょっと癒されるのかもしれない。
本来他人の理解者がいる事がこういうものには有効だと思う。
たとえば、父には精神科訪問看護士という父からの話を漏らさない守秘義務をもった人間が、父の気持ちを聞き取っている。聞き取れるだけの信頼関係ができるまで日にちはかかったが、いまだにその存在は父には有効である。
では、家族にはどうだろうか?
だれが家族の思いを聞き取るのか?
親切なケアマネやデイ職員、小規模職員でもいいし、担当医のところのケースワーカーでもよい。
だけども、家族というのは、彼らにわざわざ会いに出かけたりして話しをしようとはしない。
私も含め自分の中にため込むものだ。
家族が複数いるのであれば、家族の内で、話題として日常に話しをしてお互い、患者である家族の言動に対する理解を共有する事で、介護者が一人のケースに比べれば、孤独に思いを抱え込むストレスは軽減されると思う。
そのあたりの支援制度の不足に何かないものかと思う。
専門職に話しをするのは、なかなか難しい。かと言って家族会はというと、家族会での交流会と言われる場では、お困りのことは?と聞かれて、言うと古い経験談が返ってくるとか、他の家族のお困りの事を聞くだけとか、順繰りに話しをするだけ。交流会とは名ばかりと感じて帰ったと聞く事も多い。私も何回か、「交流会ちゃうやん。交流してないし。」と思った事がある。
交流会というイメージは、他の家族さんと井戸端会議のように、対等に対話するようなイメージだけど、実際は違うようだ。
そういう思いから、私のやる交流会では、みんなと会話して、交流感覚を持ってもらえるようにと、私のできる範囲で努力している。
うちは本人も同室でやっているし、一緒に来ているのだが、一緒に交流したと思えるように、今後はもっと努力しなければと思っている。
認知症の人に名前は覚えてもらわなくても良い。私を認識し続けてもらえるように、話かけ、交流するようにしている。みんなの思いを聞き取っていると、本人は自発性が低下しているので、本人からはなかなか話してこないし、本人と話す時間が少なくなってしまう。ぼーっとしている時間が増えると、とっても残念に思う。そういう時は、私のように本人に接する気持ちのある方がもっといてくれたらいいのにと思う。
写真は、「内宮の紅葉撮って」「おかげ横町のいつものコロッケ」「おかげ横町のスープ三種類食べ比べ」「おかげ横町のノリラーメン焼き豚美味しいので単品も食べた」「帰りのSAのこれってブランド牛?でもスエヒロ?」です。
2009年11月21日学区福祉委員さんの研修
今日は地域包括センターの会議室をにて、地元の学区福祉委員さんの研修会のご縁で、今度は民生委員さんの研修会でお話をする事になった。
内容は同じで良いと聞いていたのだけど、同じメンツもいるんだけど。。。
まぁどっちみち、私の生まれ育った学区の方ばかりで、みなさん同級生のお母さんお父さんとか、当時のPTAや町内会の役員さんからのご縁なので、私も父も知り合いばかり。
父はここに住んでもう50年弱だし、商店街の会長も2つの会があって、それぞれ何度もやって、町内会長や子供会会長も歴任していた。
この地域で長く暮らし、商売も長年やっていた人間が、認知症だと言ってテレビや新聞に出ているのだから、皆さん知らないわけがない。
でも、だからといって、接点はないし、私が町内会の役員を近年順番が来たのでやらねばならなかった時も、配慮を求めても理解はなかなかされなかった。そして、それぞれの隣近所でうちの通りは65歳以上が9割だとか、独居が9割なんて話をするものの、役員は出さないといけないとか、ゴミの看板の管理を順繰りにしてとばしてあげたりはしないとか、それこそ平等だと言わんばかりの回答だった。地域社会の平等とは、老若男女、健康でも障害があっても、同じ事を必ずこなしなさいというものではないと思う。しかし、地域での関係が希薄になり、井戸端会議ではなく情報化社会の非対人的情報伝達と収集が主要方法となってきた昨今では、隣近所の困難な事情なんて知らないし、知っておいて出来ることは助け合おうなんて事はない。隣の留守を預かるなどという事はあり得ない時代だと感じる。
うちの地域だけがそうだと言うわけではない。今の社会がそうなのだけど。
そういう中で、地域の独居老人の認知症発症を早期に見つけるのは大変困難で、見つけた頃には、中度以後になっており、本人が自分の病気を認識する事ができない常態にある。
その本人を支援しようとしても、迷惑だと言われてしまうので、立ち入れないのが現状だろう。
そして、どのようにそこに介入するかも課題だが、中度に至る前に気づいて民生委員、学区福祉委員など、地域を見守る方が、要注意していて、接点を作っておき、初期に気づいて、別居している親類に連絡をとるなど、先手をうっていかねば、孤独死や、ゴミ屋敷、火事などになって、本人だけの問題以上に発展して地域に影響が出る。
サークル活動でも良いし、もっと積極手的に昔の近所づきあいのような感覚を取り戻すようにしていかないと、高齢化社会に対応した地域活動ができないし、認知症の早期発見、早期対応、支援に結びつかないと思う。
まぁ、とにかく、私の見解だけども、認知症には色々な種類があるし、進行も違うし、制度も色々ある、当事者の気持ちの問題と、家族の気持ちの問題、様々な事があるけれど、できれば予習し、早期に手をうって、困難な事態にならないようにしていく事が大切である。ひきこもりは体も心も脳も悪くするので、認知症や高齢者にはよくない。そういった事をお伝えした。
父が徘徊するようになった時には、助けてもらいたいと思うので、普段から声かけをして、挨拶とどこにいくのか、聞いてほしいと本人も話していた。
父にとっては、目的地を忘れたり、違うところに行くつもりになったりと、一人での外出は混乱するのだが、誰かに話しかけられて、どこへ行くのか話をしていると、整理ができて、どこに行くのか思い出す事がある。きっと進行してきたら、行く先が返答できないかもしれない。そのときは、もちろん保護し家に連絡してほしいと思う。
挨拶から始まるコミュニケーションは、小学生でも重要だけれども、認知症を発症した人にも大変重要だと思う。
この日は、夜の研修だったので、父と息子と一緒だったのだが、息子は甘いものが苦手で、イチゴショートは食べるものの、甘すぎると食べない。この日のケーキはいたく気に入ったらしく、珍しくぺろっと食べた。
シャトレーゼだと後で聞いた。シャトレーゼ昔買ったけど、こんな味だったかな。。。と思った。苦笑
内容は同じで良いと聞いていたのだけど、同じメンツもいるんだけど。。。
まぁどっちみち、私の生まれ育った学区の方ばかりで、みなさん同級生のお母さんお父さんとか、当時のPTAや町内会の役員さんからのご縁なので、私も父も知り合いばかり。
父はここに住んでもう50年弱だし、商店街の会長も2つの会があって、それぞれ何度もやって、町内会長や子供会会長も歴任していた。
この地域で長く暮らし、商売も長年やっていた人間が、認知症だと言ってテレビや新聞に出ているのだから、皆さん知らないわけがない。
でも、だからといって、接点はないし、私が町内会の役員を近年順番が来たのでやらねばならなかった時も、配慮を求めても理解はなかなかされなかった。そして、それぞれの隣近所でうちの通りは65歳以上が9割だとか、独居が9割なんて話をするものの、役員は出さないといけないとか、ゴミの看板の管理を順繰りにしてとばしてあげたりはしないとか、それこそ平等だと言わんばかりの回答だった。地域社会の平等とは、老若男女、健康でも障害があっても、同じ事を必ずこなしなさいというものではないと思う。しかし、地域での関係が希薄になり、井戸端会議ではなく情報化社会の非対人的情報伝達と収集が主要方法となってきた昨今では、隣近所の困難な事情なんて知らないし、知っておいて出来ることは助け合おうなんて事はない。隣の留守を預かるなどという事はあり得ない時代だと感じる。
うちの地域だけがそうだと言うわけではない。今の社会がそうなのだけど。
そういう中で、地域の独居老人の認知症発症を早期に見つけるのは大変困難で、見つけた頃には、中度以後になっており、本人が自分の病気を認識する事ができない常態にある。
その本人を支援しようとしても、迷惑だと言われてしまうので、立ち入れないのが現状だろう。
そして、どのようにそこに介入するかも課題だが、中度に至る前に気づいて民生委員、学区福祉委員など、地域を見守る方が、要注意していて、接点を作っておき、初期に気づいて、別居している親類に連絡をとるなど、先手をうっていかねば、孤独死や、ゴミ屋敷、火事などになって、本人だけの問題以上に発展して地域に影響が出る。
サークル活動でも良いし、もっと積極手的に昔の近所づきあいのような感覚を取り戻すようにしていかないと、高齢化社会に対応した地域活動ができないし、認知症の早期発見、早期対応、支援に結びつかないと思う。
まぁ、とにかく、私の見解だけども、認知症には色々な種類があるし、進行も違うし、制度も色々ある、当事者の気持ちの問題と、家族の気持ちの問題、様々な事があるけれど、できれば予習し、早期に手をうって、困難な事態にならないようにしていく事が大切である。ひきこもりは体も心も脳も悪くするので、認知症や高齢者にはよくない。そういった事をお伝えした。
父が徘徊するようになった時には、助けてもらいたいと思うので、普段から声かけをして、挨拶とどこにいくのか、聞いてほしいと本人も話していた。
父にとっては、目的地を忘れたり、違うところに行くつもりになったりと、一人での外出は混乱するのだが、誰かに話しかけられて、どこへ行くのか話をしていると、整理ができて、どこに行くのか思い出す事がある。きっと進行してきたら、行く先が返答できないかもしれない。そのときは、もちろん保護し家に連絡してほしいと思う。
挨拶から始まるコミュニケーションは、小学生でも重要だけれども、認知症を発症した人にも大変重要だと思う。
この日は、夜の研修だったので、父と息子と一緒だったのだが、息子は甘いものが苦手で、イチゴショートは食べるものの、甘すぎると食べない。この日のケーキはいたく気に入ったらしく、珍しくぺろっと食べた。
シャトレーゼだと後で聞いた。シャトレーゼ昔買ったけど、こんな味だったかな。。。と思った。苦笑
2009/11/20 ホーム見学
今日は、いつもなら父は府立洛南病院さんの精神科デイケアに行く日だけど、「宇治市介護者の会」さんの正会員の私の都合と、会の研修での講演依頼の為に、休ませてつれて行く事になった。
まず、城陽市のヴィハーラ本願寺さんという、全国規模の本願寺という京都のでっかーいお寺さんが建てた、いわゆる老人ホームに出かけた。京都市内にも何件か系列があるように思うのだけど、この城陽市のものは、かなり敷地が大きく、ゆったりとした設計で、入院病棟のような箱が並んだような部屋がまっすぐな廊下に並んでいるようなデザインとは程遠い。逆に言えば、認知症や老化による認識力の低下を伴っていると、施設内の現在地の把握が難しいかもしれない。自分の部屋から出て、自分のユニットの部屋まで戻るのは難しいかもしれない。他のユニットもそっくりな配置なので。徘徊をするとしたら、大変しがいのある空間設計で、まっすぐの廊下を階段やエレベーターなどの脱出ルートを求めて歩くような事ではなく、なんとなくひたすらうろうろ歩行できるのではないかと思った。平屋建てだけど、奥のユニットであれば、玄関まではとても遠いので、途中で誰かに出会って、とめられるのではないかと思ったのだが、出た人がいるらしい。玄関が中から簡単に開くので、たどり着けたら出てもおかしくはないけど。
仏壇があるので、新人深い人は拝むのも一つの楽しみ。父はしっかり拝んでいた。
父にとっては、父の姉のいるホームよりも、はるかにこのホームが気に入ったらしい。
仏壇や、空間の広さ、明るさ、なにもかものデザイン、お坊さんもいる。
「宇治市介護者の会」の研修で訪れたわけなので、みなさんも大変気に入っておられた。
でも、実際問題、入れるかというと、300人待ちだそうである。
人気の理由は、介護保険で入居や利用料が定められており、他のグループホームに比べて、大変お値打ちだからである。
よくある10人規模からそこそこまでのホームで、介護保険が使える施設であると、介護保険で要介護2であれば、月額の介護保険の一部負担が何万円+入居居室の費用何十万+食費何万+その他娯楽教養費などで、月に20万ほど払うとしても、安い方である。
本願寺さんは、居室料などがなく、洗濯物も職員さんが面倒をみてくれる。みよりのない方などには、大変適しているので、独居の方で自分の面倒が見られない方などが、入居されるケースや、そのような危機的状況の方を先にという事はありえるようだ。
多くの施設では、看取りまでは行わない、様態が悪くなってくると、入院させるなどで、チューブでつながれて病院で死亡する事が多いが、本願寺さんでは、希望すればホームで看取りと葬式まで可能という。
これまた衝撃的な親切さというか、お寺さんだからできる心意気という気もする。
本願寺さんのホームの見学をした後、城陽市の公共施設で昼食を頂いて、そこの会議室で研修という事で、私達の認知症の当事者の話と、最近はやりの?小規模多機能施設の施設職員さんからの小規模についての話を聞いた。
この時点で結構疲れていたのだが、15時半に息子が帰ってくるので、ばてている場合ではない。
16時からのピアノに送らねば。。。
そして19時からは商工会議所の創業塾のOB会で情報交換だし。。。
で、帰ってきたら、ものすごく疲れた。。。体力が足りない。
ホームの前で写真を撮ったのだけど、どっかいった。。。
父のカメラにはきっとはいていると思うけど。
またそのうち写真を追加で貼るか。。。
まず、城陽市のヴィハーラ本願寺さんという、全国規模の本願寺という京都のでっかーいお寺さんが建てた、いわゆる老人ホームに出かけた。京都市内にも何件か系列があるように思うのだけど、この城陽市のものは、かなり敷地が大きく、ゆったりとした設計で、入院病棟のような箱が並んだような部屋がまっすぐな廊下に並んでいるようなデザインとは程遠い。逆に言えば、認知症や老化による認識力の低下を伴っていると、施設内の現在地の把握が難しいかもしれない。自分の部屋から出て、自分のユニットの部屋まで戻るのは難しいかもしれない。他のユニットもそっくりな配置なので。徘徊をするとしたら、大変しがいのある空間設計で、まっすぐの廊下を階段やエレベーターなどの脱出ルートを求めて歩くような事ではなく、なんとなくひたすらうろうろ歩行できるのではないかと思った。平屋建てだけど、奥のユニットであれば、玄関まではとても遠いので、途中で誰かに出会って、とめられるのではないかと思ったのだが、出た人がいるらしい。玄関が中から簡単に開くので、たどり着けたら出てもおかしくはないけど。
仏壇があるので、新人深い人は拝むのも一つの楽しみ。父はしっかり拝んでいた。
父にとっては、父の姉のいるホームよりも、はるかにこのホームが気に入ったらしい。
仏壇や、空間の広さ、明るさ、なにもかものデザイン、お坊さんもいる。
「宇治市介護者の会」の研修で訪れたわけなので、みなさんも大変気に入っておられた。
でも、実際問題、入れるかというと、300人待ちだそうである。
人気の理由は、介護保険で入居や利用料が定められており、他のグループホームに比べて、大変お値打ちだからである。
よくある10人規模からそこそこまでのホームで、介護保険が使える施設であると、介護保険で要介護2であれば、月額の介護保険の一部負担が何万円+入居居室の費用何十万+食費何万+その他娯楽教養費などで、月に20万ほど払うとしても、安い方である。
本願寺さんは、居室料などがなく、洗濯物も職員さんが面倒をみてくれる。みよりのない方などには、大変適しているので、独居の方で自分の面倒が見られない方などが、入居されるケースや、そのような危機的状況の方を先にという事はありえるようだ。
多くの施設では、看取りまでは行わない、様態が悪くなってくると、入院させるなどで、チューブでつながれて病院で死亡する事が多いが、本願寺さんでは、希望すればホームで看取りと葬式まで可能という。
これまた衝撃的な親切さというか、お寺さんだからできる心意気という気もする。
本願寺さんのホームの見学をした後、城陽市の公共施設で昼食を頂いて、そこの会議室で研修という事で、私達の認知症の当事者の話と、最近はやりの?小規模多機能施設の施設職員さんからの小規模についての話を聞いた。
この時点で結構疲れていたのだが、15時半に息子が帰ってくるので、ばてている場合ではない。
16時からのピアノに送らねば。。。
そして19時からは商工会議所の創業塾のOB会で情報交換だし。。。
で、帰ってきたら、ものすごく疲れた。。。体力が足りない。
ホームの前で写真を撮ったのだけど、どっかいった。。。
父のカメラにはきっとはいていると思うけど。
またそのうち写真を追加で貼るか。。。
11月19日ある日のスケジュール
10時訪問看護が来る
11時内科かかりつけ医につれて行く
帰り道ランチ
15時半息子のお迎え
16時ヘルパーさんが来る
17時息子の歯医者
18時息子の小児科
一日中が医療と共にある暮らし?
自分が病人である事を忘れるぐらいに、家族の医療スケジュールばかりな気がする。
時々地元の商店街のおばちゃんに、買い物に行くと「*~ちゃんなにしてるん?(仕事してるん?)」と聞かれ、病院ばっかり。。。としか言いようがない。
11時内科かかりつけ医につれて行く
帰り道ランチ
15時半息子のお迎え
16時ヘルパーさんが来る
17時息子の歯医者
18時息子の小児科
一日中が医療と共にある暮らし?
自分が病人である事を忘れるぐらいに、家族の医療スケジュールばかりな気がする。
時々地元の商店街のおばちゃんに、買い物に行くと「*~ちゃんなにしてるん?(仕事してるん?)」と聞かれ、病院ばっかり。。。としか言いようがない。
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