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2010年2月25日木曜日

2009/12/13 第三回「暮らしの中の認知症講座」をやってみて。

今日の講座は、今回講座を企画した中でも、皆さんの関心が高かった、当事者達の思いの部分。
三回講座の構成としては、三回全体を通して、認知症になる前に予習しておくべき事をお伝えする事が目的で、発症しているご家族おられる方にとっても、自分の家族の常態の把握と、今後の暮らしをより認知症と共に暮らしやすくする為のヒントとなるものをという目的でつくってありました。
一回目が病識、認知症の種類、症状の違い、段階による変化、本人の認知症による感覚と、はたから見た認知症の人の生きる感覚、ドクターから見た当事者の世界観、そういった内容と、ご質問いただいてた近年早期発見と共に困難に直面する人を多くみかける若年認知症に関わるお話と、来られた方からの自分の知り合いのケースに対する対応のヒントについての質問などに専門医の先生からのお話をしていただきました。
感想を見ていると、皆さんイメージと実態についてのギャップをうめようとしていらっしゃるのがよくわかりました。知りたくて来たんだなぁと。
二回目は診断後の様々な制度利用で暮らしやすくする為には、どうすればいいのか、聞きかじった介護保険やケアマネなど、いったいどこで手続きを進めるのか、どういった制度があるのか、学んでいただいて、実際発症した方がまわりにいれば教えてあげたり、自分の家族がそうなった時には、おいつめられてからの制度利用ではなく、その前から使えるものは使って、患者本人も家族も暮らしやすくする為にお勉強していただきました。
この時は、精神保健福祉士さんがお話下さったのですが、同職の方のご関心も高く、福祉関係の方も結構いらしてました。
けれども、一番印象的なのは、第三回よりも第一回、第二回の方が、現在発症している家族の居る方、診断されている方のご家族の参加が多かった事や、第三回では私達当事者からの日常の話(認知症の方の実態)を聞きたいという方が多かった事です。

三回目では、私の方から、発症した時の本人や家族の心理状況、どういう立場におかれるのか、お話をしました。またその後は制度利用に結びつける為に、どんな工夫が必要か。そして、本人も認知症によって自分の人生がままならないストレスにさらされるけれど、家族も日々の暮らしに困難な事がたくさん発生し、健康だった頃の本人を知るがゆえのストレスが発生する事をお伝えしました。

本人のストレスはどのように解消し、認知症になっても、すぐに非常に悪くなって、なにもわからず死ぬのではなく、症状と共に穏やかに暮らす事もできるので、ぜひ本人の気持ちが孤立しない方法を早期に探す。
そして家族も孤立して思い悩んで、本人と暴言のキャッチボールをしないように、制度利用をする。
他人に入ってもらう事も大切であるとお伝えしました。
どこまで伝わったか、、、、プロではないし、理路整然とも言えてないので、心配です。

一番よくあるのは、夫婦間が暴言のキャッチボールをする事。
そしてその暴言は、認知症で言動が病気ゆえに変になっている場合と、本人が病気を自覚しているからこそ、精神的に不安定で出ている事とがあり、一人で自分は認知症だからもうダメだ、役に立たないと思う事が、家庭内の荒れる原因かもしれません。
家族は元気な頃の本人をイメージして、何で違う言動をするのかが理解できず、正論を本人に言いますが、本人は逆上してしまう。
そういうケースは多々あって、本人と介護者二人暮らしの家は大変です。
クッションがなく、暴投のキャッチボールをしあいます。
もし他人がそこに入ったら、他人はひどく驚くでしょうけど、夫婦間でぶつけあった暴投は相手にあたる前に、他人がワンクッションし、中つぎして、受け止めて投げつないでくれるから痛くなくなるかもしれません。
制度利用でワンクッションできるかもしれません。
当事者間でエスカレートする状況は、認知症の進行にも良いはずがありません。
介護者も患者自身も、それぞれが、自分の思いを伝えられる相手がいて、相手は直接何かをしてくれるのではないかもしれないけれど、他人に思いを伝える必要があります。
そこでストレスが少し減ります。
その他人とは、誰か。
介護保険を申請できていれば、ケアマネかもしれません。
デイに行っていれば、デイの相談員や担当職員かもしれません。
行くのは無理なら、精神科の看護士の訪問看護に来てもらって、本人が嫌だろうと、やってくる看護士がそのワンクッションな他人になるかもしれません。
来るのが嫌でも、毎週通ってこられると、なじみになって、来るのが当たり前になる時がきます。
その時には、嫌なそぶりでも、待ち遠しくなっているかもしれません。
他人が自分を見つめてくれる。かまってくれる事は、本人にとってはとても大切な事です。
専門医の先生も言っておられましたが、放置、無視が本人に届けられるべきケアを届かなくしていたり、進行によくなかったりします。
逆を言えば、本人がどんな態度でも、離れていかない存在がいる、特に実務はしなくても、自分の為に来てくれる、いつもの人がいると、本人には良い影響があると言えると思います。
それが家族で事足りればいいんですが、なかなか家族だから、過去の本人を知るからうまくつきあえない部分もあります。他人の方がいい事もあるのです。
他人に気にかけてもらえるというのは、本人にとっては、大きなプラスです。
認知症の診断で生きる価値を失ったような気持ちで不安定になっている時に、家族ではなく他人が、たとえそれが仕事であっても、自分に向き合って話しかけてくれる。
これはとても大切な事です。
診断を受けられたご家族は、あちこちで相談できて、制度利用なども勧めていく事ができますが、本人は誰に話すのでしょうか?
気持ちを抱え込んでいるのではないでしょうか?
思うようにならない記憶や人付き合いの問題の中で、引きこもりモードに入ったり、無気力になったり、不安定になったりするのは当たり前です。
誰にも必要とされてない、したい事もうまくこなせない役立たずと思ったりする本人が、家族の正論の言葉に対しても過剰に反応するのは仕方ありません。
やつあたりする相手すら、家族以外にはおらず、それだけ孤独なのです。
使える制度は使って、本人が嫌がってストレスをためる事もあるかもしれませんが、大きい視野で本人を見つめて、残存能力をいかして、家族と共にある暮らし、家族の見分けが付く期間の暮らしを、より快適に長くする為の工夫を、本人も家族も初期、早期の頃に取り組み、進行する前に段取りをしていく事が大切である。そう信じてお話をしました。

デイに行きたくないのは、老人ばかりいるところだから。
記憶やら段取りは老人並に悪いけど、自分が行くところじゃないと思うから。
家族も行かせたいところじゃないから。
じゃあなにをしに、なんの為に行くのか。
施設の職員さんの協力も得て、行く意味をもたせる。
悪くならない為に、職員さんと話をして、脳ミソ使ってきてとか、体がなまるから、職員さんのお手伝いをして動いてきて。
そういう事も家族が言うと、そんなんしないで家にいると答えるなら、医師やケアマネから勧めてもらったり、工夫する。
そういう段取りを色々家庭ごとのケースで考えて、残存能力を使って、能力をこれ以上失わない努力をしないといけません。
家で家族と本人がもんもんとしていると、ストレスが双方で増幅しあって、進行にも悪影響があります。
二人だけでそれぞれが孤独に考えていると、介護者のストレスが、あっというまに介護うつに達します。
そうならない為には、ぜひまわりの手をかりて、本人が行ってくれないなら、来てもらう。
本人の気持ちの受け皿を作る。
家族の気持ちの受け皿を作る。
皿に乗った思いはただ戻ってくるだけかもしれないけれど、自分の中からいったん取り出す事が大事。
ストレスは絶対発生する。
それは講座での、うちの会員家族さんのインタビューの時にも、それぞれストレスはあると答えられていたように、発生するけれども、それをどうにかつきあっていくしかない。
上手につきあうには、先手必勝、工夫をする。段取りをしておく事が大事。
そして本人にもストレスがあるんだという事を考慮する。
もちろんだからといって、介護者が我慢しなければならないわけではない。我慢比べが介護じゃないし、暮らしでもない。
あちこち、様々な相談できるところに話せる人はいるので、本人が話せる相手、家族が話せる相手を持つ。
介護ではなく暮らしているだけ。
上手に暮らす為に、家族は遠慮しないで、言い合える方が良い。
でも暴投合戦にはしないように、これからも一緒に暮らしていくんだから、工夫して変化球と、たとえ病気で暴言を吐いてても、居てもらわなきゃ困るんだという直球の態度で対応しましょう。

という思うで話てたんだけど、伝わったかなぁ。。。
うーん。みんな知りたい事は同じだと思う。
ケースは、違えど、同じ困難に直面する事が多い。
先人の智恵も必要だけど、古い観念で対応し続けないで、新しい制度と新しいケア感覚があると思うので、それをぜひ自分の家庭に当てはめて考えて、暮らしやすくする為に取り入れてほしい。
うちの会員さんの中には、介護保険前の介護を経験した後、今また認知症介護に取り組まれている方がいるけれど、そんな方でも今の制度が判らずに、なにもできずにおられた。うちの会に来られて、本人の納得や制度知識も増えられて、制度利用を一気に進められ、随分助かったと言っていただいた。
私もこれから、どんどん新しい情報を仕入れて、自分の父に対してだけでなく、様々なケースにとってのよりよい方法を模索し、孤独に思い悩む本人と家族が、勇気をもって私達の会に接触して下さった時に、少しでも役に立つ情報提供などができればと思っている。

私達の会に来られて、継続されず一度きりの当事者の方というのは、この一年をふりかえると介護者の方が心身においてご健康でないケースばかりだった。
どうしてらっしゃるのかとても心配だけど、娘息子世代が、いざとなったら、動いてくれている、多少は支えてくれているのだと信じたい。
お子さんがいないケースもあったけれど、そこには医療の接点があるようだった。でもその接点も弱まっておられる時に来られたので、以後どうされているのかとても心配なケースだ。

核家族、地域社会との隔絶、血縁との絶交など、様々な孤立が見受けられるが、専門医の先生も持つべきものは伴侶、家族、いざという時に話しがちゃんとできる関係をあらかじめ作っておかないといけないと言われていた。
病気になって必要なのは、孤独ではない環境なのだと痛感する。
制度の隙間に落ちてもがく認知症患者と家族も多い。
要介護度が上がって、寝たきりが長い患者より、要介護度が上がらず、介護保険負担の少ない常態が維持できるように専門的ケアが必要だと思う。進行を緩やかにするケアをする事こそ、社会経済の中の介護保険による財政負担における軽減方法の最たるものではないかと思う。。
制度の隙間を間違った方向でなくして、大きい鍋でごった煮するような介護保険や障害者施設の法律よりも、抜本点な制度改革がいるのになぁと思う今日この頃。

講座を来年もやるのかと思うと、自分の能力の低さに、不安になる。。。
頑張って、家族と本人のストレスに対処する方法を、いかに上手に伝えるか、秋までに考えなきゃね。
イマイチすぎて、来年誰も講座の三回目だけ聞きにこなかったらどーしよ。。。なんて思ったりもするけど。苦笑
認知症友の会の皆さん、本当にありがとうございました。
生のリアルタイムの当事者の声を聞きたいとお思いの、受講者さんに、貴重な声をお届けできたと思います。
皆さんの日々の思いを無駄にしないように、活動を頑張ります。
会場を貸して下さった共催の生涯学習センター様と、お手伝いして下さった職員さんにも感謝しています。ありがとうございました。

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